上海万国博覧会で中国は何をめざす【国際】

上海万国博覧会で中国は何をめざす


 今年5月から10月末まで、中国・上海で「より良い都市、より良い生活」をテーマに上海万博が開かれます。世界的な不況の中で一人高い経済成長を誇る中国が、08年の北京オリンピックに続いて開催する国の威信をかけた一大イベントです。
 ところで、そもそも万博とは何時から何処で何を目的に開かれてきたのでしょうか。05年の愛知万博は記憶に新しいところですが、幕末の1867年のパリ万博では徳川幕府や薩摩藩、佐賀藩がはるばる出展参加しています。世界の文明史、政治史の一面を映し出す万博を改めて検証してみましょう。

上海万国博覧会で中国は何をめざす 【1851年、ロンドンで幕を開けた万国博覧会。】
- 万博は、産業革命の旗手、
             世界に君臨する大英帝国の勝利祭典だった。 - 

 日本で万国博覧会と呼ばれる国際博覧会は、英語ではInternational Ex-hibitionsと標記します。米国ではWorld Fairsと呼んでいます。江戸末期、ペリーの黒船来航の2年前の1851年に第1回ロンドン万国博覧会が開催されました。
 当時は、産業革命の先駆者として世界に君臨した大英帝国の最盛期。ビクトリア女王の時代の華やかな文明社会を映し出すロンドン博は、「全ての産業の成果を集めた大博覧会」と銘打って25カ国、15の植民地からの出品物を展示して華やかに開催されました。
 出品物は産業革命を象徴する蒸気機関車から工作機械、船舶用エンジン、ミシン、農業機械、人工の入れ歯、水洗トイレなど19世紀中葉のヨーロッパの先端科学技術文明の成果のオンパレードで、その数10万点にのぼったといいます。
 その年の5月から10月までの6ヶ月の会期中、入場者は604万人を数え、「欧米列強の科学文明の勝利」を謳歌した博覧会でした。
 ハイライトは鉄骨とガラスで造られた長さ564mの、クリスタルパレス(水晶宮)と呼ばれた巨大な温室で、ロンドン博のシンボルとなり、その後20世紀を代表する植物園の原型となりました。
 ロンドンを舞台にした万国博の開催は、世界に冠たる大英帝国の国威を誇示することが大きな目的でした。同時に、新たな社会階層を形成しつつあった都市の工場労働者に科学技術が開く輝かしい未来をアピールして労働意欲をかきたて、技能の向上を図ろうという願いが込められていました。
 一方、産業革命の進展によって大量の工場労働者が都市に流入し、劣悪な労働環境に追いやられる少年労働者に代表されるように、増大する都市の貧困といった格差社会の諸問題が深刻化し、当時勃興しつつあった社会主義革命思想に対峙する形で産業資本の繁栄、科学文明の輝かしい未来社会を鼓舞する政治目的がありました。
上海万国博覧会で中国は何をめざす 【ウィーン博(1873年)で明治新政府が初出展。欧州に空前の日本ブーム。】
 - 仏革命100周年のパリ博。エッフェル塔はそのモニュメントだった。 - 
 ロンドン万博に続いて第2回の博覧会は、振興工業国アメリカのニューヨーク万博でした。ここで初めてエレベーターが展示物として登場しました。
 1855年の第三回パリ万博ではコンクリートとゴムが初めて展示され、工業技術の粋を展示した科学文明展の色彩の濃いものでした。
 ところで、日本人が初めて万博を視察したのは1862年(文久2年)の第2回ロンドン万博でした。徳川幕府が派遣した遣欧使節団の一行で、この時随行した福沢諭吉が著した「西洋事情」の中で、当時見聞した博覧会を、初めて「万国博覧会」という日本語に翻訳したのでした。そして正式に日本が招待されて博覧会に出展したのは、1867年(慶応3年)のパリ万博でした。
 ナポレオン三世から公式に招待を受けた徳川幕府と、個別に参加した薩摩藩、鍋島藩がそれぞれ「ニッポン」と称して版画や工芸品などを出展しましたが、日本の浮世絵は当時のフランス画壇に大きな影響を与えました。
 明治に入って日本政府が本格的に参加したのが1873年(明治6年)のウィーン万博です。太政官直属の事業として参議の大隈重信を事務局総裁に出展し、日本館や日本庭園を建設。名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)や三十三間堂の火炎太鼓などの国宝級美術工芸品や絹織物などさまざまな出品物を陳列しました。
 こうした展示を機に欧州では空前の日本ブームが巻き起こり、後に西欧の芸術界に「ジャポニズム」を生むきっかけとなり、西欧美術史の一頁を画しました。
 フランス革命100周年を記念して開かれた1889年のパリ万博に建設されたモニュメントがエッフェル塔です。この時、エジソンが発明した白熱電球が初めての夜間照明がパリの夜空に輝きました。


【1900年パリ博で映画登場。産業技術と芸術文化の融合を目指す。】
 - 二十世紀は産業博覧会から平和と文明社会の祭典へ移行 - 
 そして1900年。「世紀のまとめ」と命名された最も華やかなパリ万博が開かれ、映画が初めて登場しました。20世紀に入るとこれまでの科学文明を誇示する産業博覧会的な色彩の強かった万博は、装飾美術やファッションを含む総合的な芸術運動と先端産業技術の融合を図る新しい動きが出てきました。
 1933年のシカゴ万博からテーマを掲げるようになり、博覧会の狙い、性格がより明確になりました。とりわけ第一次大戦の惨禍を繰り返すなと、平和と明日の希望をモチーフにしたテーマが目立ちます。
 たとえば、1933年シカゴ万博の「進歩の世紀」、1935年ブリュッセル万博「民族を通じての平和」、1937年パリ万博「近代生活における芸術と技術」、1939年サンフランシスコ万博「平和と自由」、1939年ニューヨーク万博「明日の世界と建設」などです。
 やがて世界は第2次大戦という未曾有の大戦災を被ることになりました。戦後世界は、物質文明の謳歌、科学万能主義の反省から、人間性の探求を人類史的課題とし、万博のテーマも、人類の生存の原点を見直し、未来への永続的発展を願う根源的な問いかけの時代を迎えたのでした。
 1958年ブリュッセル万博「科学文明とヒューマニズム」、1962年シアトル万博「宇宙時代の人類」、1967年モントリオール万博「人間とその世界」1970年大阪万博「人類の進歩と調和」、1992年セビリア万博「発見の次代」、2000年ハノーバー万博「人間-自然-技術」などです。
上海万国博覧会で中国は何をめざす 【「月の石」人気に湧いた日本初開催の大阪万博。万博史上空前の来場者。】
 - 地球環境を訴えた愛知万博、
               リニアモーターカーや燃料電池バスが登場。 - 

 日本が初めて開いた国際博覧会は、1970年大阪・千里丘陵の「大阪万博」です。入場者数は6421万人を数え、今でも万博史上最多の記録を誇っています。大阪万博のシンボルは岡本太郎による「太陽の塔」です。大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」でしたが、その前年にアポロ11号による月面着陸に成功し、「人類にとって大きな一歩」を記しました。
 大阪万博のテーマは、月面に一歩を踏み出した人類の進歩が、科学文明と調和を保ったものであることを願ったものでした。35年後に日本開催が巡ってきた愛知万博は、環境博とも言われるように、終始環境がテーマでした。
 2005年に開かれた愛知万博のメーンテーマは「自然の叡智」で、環境問題を考える博覧会としてのコンセプトを明確に打ち出しました。メーンテーマのほか、「宇宙、生命と情報」「人生の『わざ』と知恵」「循環型社会」の3つのサブテーマを掲げ、複数会場を結ぶ移動手段として、CO2や騒音を出さない近未来のクリーンエネルギーである燃料電池を搭載したバスや、振動のない超伝導によるリニアモーターカーが実際に会場間を結んで運行しました。
 愛知博のハイライトは、時速581・を記録したリニアモーターカーの実物展示でした。騒音、振動、CO2を排出しない究極のクリーンな大量輸送手段であるリニアモーターカー(超伝導リニア)は、東京―名古屋(最終的には東京―大阪)を結ぶ「リニア中央新幹線」計画がありますが、愛知博はその建設促進をアピールする狙いもありました。
 そして、2010年5月からはお隣の中国で上海万博が開催されます。ここでは、どんなメッセージが世界へアピールされるのでしょうか。
上海万国博覧会で中国は何をめざす 【史上最大のスケール。大中華の威信をかけた上海万博。】
 - 人、モノ、金、情報を世界から引き寄せる大仕掛けが狙い。 - 
 今年5月から10月末までの6ヶ月間中国で開催される上海万博のテーマは「より良い都市、より良い生活」です。上海市内をゆったりと蛇行する黄浦江の両岸、約328ヘクタールの広大なスペースに、242カ国・地域・国際機関が参加して開かれます。
 会場面積は愛知万博の約2倍で、総事業費は約3720億円。会期中に見込んでいる入場者数は、過去最大だった大阪万博の6421万人を上回る7000万人で、1日平均約40万人となります。
 一昨年秋のリーマンショック以来、世界の景気は冷え切ったままですが、一人中国だけは年率8%から9%という高い経済成長を続けています。中国政府は北京オリンピックで成長軌道に乗せた中国経済を、上海万博という「第2弾ロケット」でさらに飛躍を期そうと意気込んでいます。今年は二桁成長を!という意気込みが感じられます。
 さらに政治的には、今の胡錦涛指導体制を継承する共産党指導部の世代交代を、高い経済成長を世界に誇りつつ行いたいという強い願いもあるようです。すでに中国は2020年までに上海を国際金融と国際海運の2つのセンターにもっていくという国家計画を打ち出しています。
 昨年10月に建国60周年を迎えた中国は、世界のヒト、モノ、カネ、そして情報を引き寄せる舞台回しのひとつに上海万博を位置づけ、世界に大中華としての存在を誇示するとともに、景気低迷と慢性的なドル下落で疲弊する米国に変わって世界に冠たる中国として、国威発揚への息吹が伝わって来るようです。

【二十一世紀はパクス・シーナ(チャイナ)の時代?】
 - 上海万博は、世界一の経済大国中国の勝利宣言か? - 
 19世紀は世界の3分の1を支配した大英帝国によるパクス・ブリタニカ。20世紀は米国を中心とした世界の平和と安定秩序を意味するパクス・アメリカーナ。そして21世紀は中国が主役の地位に取って代わるパクス・シーナ(チャイナ)の時代となるのでしょうか。
 5年後の2015年にはイタリアのミラノで万博が開催されますが、その次の2020年はまだ未定です。こうして見ると、21世紀に入って万博は日本、スペイン、中国、イタリアといった具合に20世紀までの欧米アングロサクソン系国家から、ラテン系、東洋系の国々に移行してきたことが分かります。
 中国は上海博で、躍進する上海をモデルに世界の金融センター、国際海運センターとしてふさわしい近未来の理想的な都市の形、機能美を世界にアピールします。それは経済先進国中国、アメリカを凌駕して世界第一の経済大国に躍り出た「中国の勝利宣言」といえなくもありません。
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