今、日本の北方領土はどうなっているの?【国際】

今、日本の北方領土はどうなっているの?


 昨年11月、ロシアのメドベージェフ大統領が日本の北方領土である国後島を訪問して、改めて北方領土問題が脚光を浴びています。
 日本の領土である北方四島は、第二次世界大戦後ソ連(今のロシア)が占領したままになっています。ロシアは自国の領土であると主張して日本への返還を拒否しています。
 戦後66年を引きずる未解決の北方領土問題を考えて見ましょう。

今、日本の北方領土はどうなっているの? - 日本の北方領土にロシア大統領が訪問してロシア領をアピール! -
 ところで北方領土とはどこを指すのでしょうか?
 それは、北海道の東の端、根室市の沖合に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島の四つの島をいいます。
 地図を見ると、カムチャッカ半島の南側から北海道の東端にかけて、数珠のように連なっているのが千島列島(ロシアではクリル群島といいます)です。
 北方領土である四つの島の一番北の択捉島と、千島列島の一番南にあるロシア領のウルップ島の間が日本とロシアとの国境です。
 しかし、第二次大戦後北方領土の四島にソ連軍(今はロシア軍)が駐留し、そのまま66年間軍事占領を続けてロシア人が移り住んできました。
 この時、それまで住んでいた日本人はすべて追い出されました。ソ連が崩壊してロシアに変わっても状況に変化はなく、依然として北方領土の四島はロシアの領土であると主張して占有を続けているのです。
 そして昨年11月に、旧ソ連、ロシア時代を通じて初めて、国家元首であるメドベージェフ大統領が北方領土を訪れたことで、「北方四島はロシアの領土である」とロシア国民や世界の国々にアピールしたのでした。

- 北方領土を自国領土と主張して地域開発や軍備増強を進めるロシア -
 その後、大統領に続いて、昨年末にロシアの第一副首相や地域開発大臣、国防大臣など政府高官が相次いで北方四島を訪れました。
 そしてロシアは、北方四島や千島列島を含めたクリル諸島(ロシアでの呼び名)全体で、2015年までに約500億円を投入して経済基盤や生活基盤の整備に乗り出すと宣言しました。
 外国企業の誘致にも意欲的で、すでに中国や韓国の企業が北方四島で水産物の加工事業を始める計画です。
 経済開発だけではありません。北方領土の軍備増強も進めています。
 今年2月にメドベージェフ大統領は、クリル諸島の軍備を増強するよう指示し、ロシア国防省は北方四島の択捉島、国後島に駐留しているロシア軍の装備を近代化する方針を打ち出しました。
 最近のこうした一連の動きは、北方四島がロシア領であるという既成事実を積み上げていくのが狙いと見られています。

- 北方四島には、江戸時代初期から幕府が出先機関を置いていた -
 ところで北方領土の広さはどれだけあるのでしょうか。総面積は5036平方kmで、ほぼ千葉県の広さと同じです。
 徳川幕府が開かれて間もない1644年に、当時蝦夷(えぞ)と呼ばれていた北海道を治めていた松前藩が、国後(くなしり)や択捉(えとろふ)など北方四島が世界で初めて記入された地図「正保御国絵図(しょうほうおくにえず)」を作成しました。
 また、この当時徳川幕府は、北方四島の最も北にある択捉島と、それ以南にある島々に幕府の出先行政機関である番所(駐在所)を置いていました。
 ロシアがはじめてこの周辺に姿を現したのはそれから50年近くも後の17世紀末になってからです。
 つまり、北方領土は日本以外の誰も支配したことがなく、江戸時代初期から徳川幕府が、行政機関を設けて治めていた日本固有の領土だったのです。

- 1855年の「日露通好条約」で、日露が北方領土は日本領と確定 -
 その後、徳川幕府と帝政ロシアが1855年に「日露通好条約」を結んで、両国に国境が定められました。北方領土の一番北にある択捉島と、千島列島の一番南にあるウルップ島の間に両国の国境があることを確認しました。
 江戸時代の初期に幕府が北方四島に出先行政期間を置いて統治していたこと。さらに「日露通好条約」で日露両国が、ウルップ島と択捉島の間を国境と確定したことが、択捉、国後、歯舞、色丹の北方四島が「日本固有の領土」と主張する根拠になっています。
そして明治になった翌年の1869年、蝦夷地は北海道と改められ、明治政府は国後島と択捉島の行政区を合わせて「千島国」とし、五つの郡を設けました。

- 1875年、日露の「樺太・千島交換条約」で千島列島が日本の領土に -
 さらに明治8年(1875年)になって、日本は帝政ロシアと「樺太・千島交換条約」を結びます。当時樺太(サハリン)は日本とロシアが共同で統治して、ロシア人、日本人が入り乱れて紛争が絶えませんでした。そこで、これまでロシア領だった千島列島が日本の領土となり、共同で統治していた樺太(サハリン)をロシア領としました。これによって、カムチャッカ半島南端沖合に日本とロシアの国境棋が引かれ、北方四島を含むカムチャッカ半島以南の島々はすべて日本の領土となりました。そして、1904~5年に日本が国運をかけての日露戦争が戦われました。これに勝利した日本はロシアとポーツマス条約を結び、樺太の南半分(北緯50度以南)が新たに日本の領土になりました。
 以来、第二次大戦終了まで樺太の南半分(北緯50度以南)と、千島列島が日本の領土でした。
今、日本の北方領土はどうなっているの? - 千島列島と南樺太の領有を条件にソ連が日本に参戦=ヤルタの密約 -
 以上が第三次大戦の終戦を迎えるまでの日本の北方領土の移り変わりです。
 ところが戦後、北方領土の様相が一変します。第二次大戦で勝利を確信した米国、英国、ソ連の連合国首脳が1943年10月に聞いたモスクワ会議で、米国のルーズベルト大統領がソ連のスターリン首相にこういいました。「この戦争が終わったら日本領の南樺太と千島列島をソ連の領土としますから、ドイツが降伏したら日本と戦ってください」と。
 そして第二次大戦の勝利を目前にした1945年2月、黒海に面したソ連の保養地であるヤルタで米国、英国、ソ連の首脳が集まってヤルタ会談が聞かれました。
 ここで、ドイツが降伏した二、三ヵ月後にソ速が日本に参戦する。その見返りに日本の敗戦後、日本は南樺太をソ連に返還し、千島列島をソ連に引き渡すことが確約されました。これを「ヤルタの密約」といいます。当時、ソ連は日本との聞で、お互い中立を保って戦争はしないという「日ソ中立条約」を結んでいました。しかし終戦直前の8月9目、ソ連は当時有効だった中立条約に違反して日本に参戦し、満州、朝鮮半島、そして南樺太、千島列島に攻め寄せてきたのでした。

- 終戦の翌年、ソ連は北方四島を一方的に領有して北方領土問題が起こった -
 北方四島に限っていえば、北方領土を守っていた日本軍は攻めてきたソ連軍に降服し、ソ連軍は1945年8月28日から九月五日までの間に四島すべてを占領しました。
 当時北方四島には、一万七千人の日本人が暮らしていましたが、北方四島を占領したソ連は、終戦の翌年の1946年に一方的にソ連の領土に編入し、すべての日本人を四島から強制的に退去させました。
 北方領土問題はこの時点から始まったのです。以来66年問、ソ連からロシアに変わっても北方領土はロシアに支配されたままになっています。これをロシアによる不当な実効支配といいます。第二次大戦で敗戦した日本は米軍(正確には連合国軍)の占領下に置かれ、1951年9月にソ連を除く連合国とサンフランシスコ平和条約を結んで独立しました。
今、日本の北方領土はどうなっているの? - 日本とロシアの戦後領土問題は未解決。いまだに平和条約を結んでいない! -
 サンフランシスコ条約で日本は千島列島と南樺太の領有を放棄しました。しかし、日本固有の領土である北方四島は千島列島には入っていません。したがって日本は連合国に対して、ソ連に占領されている北方四島を返還するように要求しました。
 しかもソ連は、サンフランシスコ条約を拒否して署名をしていません。このため法制的には、サンフランシスコ条約で日本が南樺太と千島列島の領有を放棄しても、この条約に参加していないソ連(今のロシア)は、連合国の権利を主張することは出来ないはずです。
 にもかかわらず、ソ連は北方四島の領有を続け、ロシアになっても日本の返還要求を「領土問題は存在しない」と拒否してきました。
 日本とロシア(当時のソ連)は、いまだに第二次大戦後の両国の国境を確定して、さまざまな戦後処理を友好的に行う平和条約を結んでいません。つまり、両国間では戦後処理の大きなテーマである領土問題は未解決のままなのです。

- 56年の日ソ共同宣言で北方二島の返還を合意、その後ソ連が拒否 -
 といっても、戦争が終わっていつまでも日本とソ連に外交関係がないのは不自然です。そこでソ連との戦争状態を終結するため、1956年に領土問題を棚上げにして「日ソ共同宣言」を締結し、ひとまず外交関係を樹立しました。
 この「日ソ共同宣言」では、日ソ両国は正常な外交関係が回復後、平和条約の交渉を継続すると記されています。
 また、ソ連は平和条約締結後に歯舞(はぱまい)群島と色丹(しこたん)島の二島を日本に引きわたすこととなっています。
 日本は1960年に米国と日米安全保障条約(日米安保)を結びますが、これに反対するソ連は、日本から米国をはじめとしたすべての外国軍が撤退しない限り、日ソ共同宣言で合意した歯舞群島、色丹島は引き渡さない、と通告してきました。

- 北方領土返還を国際世論、ロシア国民に粘り強く訴えていく -
 今も日本はロシアと平和条約を締結していません。それは領土問題が片付いていないからです。依然として北方領土問題は何の進展もなく、当時とまったく変わりはありません。ただ、日本政府としては、北方四島はわが国固有の領土であるため、歯舞、色丹の二島だけの返還ではなく、あくまで四島返還をロシアに要求して行くという姿勢を貫いてきました。
 日本固有の領土をきちんと返還請求するのは当然の主張なのですが、日本とロシアの主張には大きな隔たりがあり、歩み寄りの気配はありません。
 むしろ最近のロシアの行動を見ると、韓国や中国を誘って北方領土の経済開発に乗り出したり、軍事基地を強化するなど、武力を背景にしたロシアによる北方領土の不法支配(実効支配といいます)を固定化し、わが国の返還要求を永遠に葬り去ろうとする意図が見えます。
 今後、日本政府と私たち国民は、北方領土の正しい歴史と日本の正しい主張を世界に伝え、国際世論に訴えると共に、ロシアに対しては政府だけでなく、ロシアの国民に対しても北方領土返還を粘り強くアピールしていかなければならないでしょう。
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