イギリス離脱で揺らぐEU(欧州連合)【国際】

イギリス離脱で揺らぐEU(欧州連合)


【戦争の反省から生まれたEU イギリスで何が起こっているのか】
 いま、EUに熱い関心が寄せられています。ヨーロッパの統合は、1952年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立まで遡ります。欧州では2度にわたる世界大戦の反省から、戦争の原因の一つとなる石炭や鉄鋼の共同管理を目的に、フランス、ドイツ(旧西ドイツ)、オランダ、ベルギー、イタリア、ルクセンブルグ6か国でECSCを発足させました。その後、統合は経済分野を中心に拡大し、1993年には政治的・経済的統合を目的とする欧州連合(EU)へと拡大していきました。2013年の第6次拡大でクロアチアを加え、EUは28か国が加盟する大きな連合体になりました。
 しかし、2009年のギリシャの財政破綻をきっかけに起こった経済危機、高い失業率、難民・移民の流入問題などEUが抱える問題は深刻化しています。こうした中、今年6月にイギリスで行われた国民投票で、EUを離脱するという衝撃的なニュースが世界中を駆け巡りました。EUの誕生から今日までの歩みを追うとともに、イギリスの離脱が及ぼす影響について考えてみました。


【EUの誕生から今日まで】

イギリス離脱で揺らぐEU(欧州連合) - 第2次世界大戦の荒廃から復興へ -
 第2次世界大戦は国家を挙げて戦う総力戦となり、欧州各国の国土は荒廃してしまいました。また、アメリカとソビエト(現ロシア)という超大国による世界の分断が進む中、欧州では一致協力して復興を図ろうとする動きが活発化します。
 1950年にフランス政府は、ジャン・モネが立案した「シューマン計画」を発表し、フランスとドイツ間の対立に終止符を打つために戦争関連資源である石炭・鉄鋼産業を共同管理し、これに他国も参加するという欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立を提案しました。そして1952年、フランス、ドイツ、ベルギー、オランダ、イタリア、ルクセンブルグの加盟によってECSCが創設されました。
 1958年にはさらに領域を広げて、経済分野での統合とエネルギー分野の共同管理を推進させるために欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(EURATOM)が創設されました。当初、ECSC、EEC、EURATOMの3共同体は個別の機関・枠組みで活動していましたが、より効率的な運営を図るために統合を目指します。その結果、1967年に3共同体の主要機関が統一され、欧州共同体(EC)が誕生しました。

- ECからEUへと統合が拡大 -
 6か国でスタートしたECですが、その後、1973年にイギリス、アイルランド、デンマークが加盟し、1981年にギリシャ、1986年にはスペイン、ポルトガルが加わるなど加盟国を増やします。そして1992年、欧州連合条約(マーストリヒト条約)の締結によって、12か国による欧州連合(EU)が誕生しました。EUはECが進めてきた経済的な統合を基礎に、さらに経済通貨統合、外交・安全保障、司法・内務の統合という3つの柱を構築し、欧州統合のさらなる発展を目指します。
 EUの設立後も加盟国は増え、1995年の第4次拡大でオーストリア、スウェーデン、フィンランドが加わりました。2004年の第5次拡大では、ポーランドやハンガリーなど東欧諸国10か国が加わり、2007年にブルガリア、ルーマニア、そして2013年にはクロアチアが加わって28か国による連合組織となりました。
 2015年現在、EUの総面積は、429万平方㎞(日本の約11倍、アメリカの約0・47倍)、総人口は5億820万人(日本の約4倍、アメリカの約1・6倍)となっています。国内総生産(GDP)は16兆2204億ドル(日本の3・39倍、アメリカの0・90倍)に達し、世界に大きな影響力を及ぼす存在になっていきました。
イギリス離脱で揺らぐEU(欧州連合) - 単一通貨「ユーロ」の導入 -
 EUの創設で、加盟国の間では国境を超えるためのパスポートが不要になりました。人の往来は自由になり、医師などの専門職の資格も共通になりました。また、貿易にかけられる関税がなくなり、地域内の経済活動を活発化させていきました。そして、何よりも大きな特徴は単一通貨「ユーロ」を導入したことです。
 1999年1月にEU加盟国11か国で単一通貨ユーロを導入し、2002年から実際に流通し始めました。現在、19か国が単一通貨ユーロを使用し、ユーロ圏と呼ばれています。ユーロを使用することで、両替する手間や手数料が省かれます。また、お金の価値の変化による損得も生じないので商売がしやすく、EU圏での経済活動に好影響を及ぼすだけでなく、圏外の国々との貿易で信用を得られるという利点もあります。

- 経済問題、難民流入など揺らぐEU -
 欧州の復興にユーロは大きく貢献しましたが、2009年に発覚したギリシャの財政破綻をきっかけに、欧州全体に金融不安が広がりました。ギリシャ、スペイン、イタリア、アイスランドといったユーロ圏の国々の財政赤字が、EU全体にユーロ危機を招きました。ドイツなど輸出が盛んな国にはユーロ安が有利に働き、EU加盟国間の経済格差が広がっていきました。このため、比較的財政が安定しているドイツやフランスは、財政危機に陥った国に金融支援を行う一方、厳しい緊縮財政を課してユーロ危機に対処しました。しかし、緊縮財政による景気の低迷で、若年層を中心に失業者が増加し、EU内部に暗い影を投げかけています。
 さらに、シリア内戦による難民問題が追い打ちをかけます。2011年に発生したシリア内戦は泥沼化し、昨年末までに400万人以上が国外に脱出し、約100万人が難民となってEUを目指しました。EUでは難民の受け入れを巡って協議を重ねていますが、加盟国の内情は異なり、否定的な姿勢を示す国もあります。
 こうした中、6月にイギリスがEUを離脱するという衝撃的なニュースが舞い込んだのです。

【世界に衝撃を与えたイギリスの離脱】
イギリス離脱で揺らぐEU(欧州連合) - 申請から10年を経てEC加盟 -
 欧州統合は1952年のECSCの設立でスタートを切りましたが、当初イギリスは参加していません。当時、イギリスでは、自らを欧州の一国を超えた存在だと考え、旧植民地諸国で構成するイギリス連邦が主要な共同体と見なし、アメリカとは独自の関係を結ぼうとしていました。
 この方針を転換したのは、イギリスを襲った深刻な不況です。イギリスはEECに対抗するため、1960年にスウェーデンなど7か国と欧州自由貿易連合(EFTA)を結成しました。しかし、工業力などでEFTAはEECに後れを取り、イギリスは深刻な経済危機に陥りました。このため、欧州との連携強化で経済の回復を図ろうという動きが強まり、1961年に加盟を申請しました。
 ところが、当時のフランスのド・ゴール大統領に、イギリスが加盟すれば背後にあるアメリカの影響力が強まることなどの理由で2度にわたって申請を拒否され、1973年にようやくECへの加盟が実現しました。

- イギリスとEUの微妙な関係 -
 しかし、その後の議会選挙で野党の労働党が勝利し、保守党から政権が交代します。労働党は選挙公約で「保守党が受け入れたEC加盟条件を国民に詳しく紹介していなかった」として、EC残留の是非を問う国民投票の実施を表明していました。しかし、1975年に実施された国民投票で残留支持が67%に達し、ECの一員として歩むことになりました。
 その後、保守党のサッチャー政権は、ECの統合強化に消極的な姿勢を示し、統一通貨ユーロを導入することなく、イギリスの通貨であるポンドをそのまま使い続けています。
 このように、イギリスはEC加盟で自由な共同市場から得られる利益を重視していました。このため、戦争の反省から統合の拡大・強化を目指す大陸側の国々との間で当初から微妙なズレがあったのです。この微妙な関係はそのまま引き継がれ、今回のEU離脱に繋がっていると見る人も少なくありません。また、大英帝国の時代から独立心が旺盛で、自負心が強く主権を守ることに熱心だとされ、国民性の違いを指摘する声も聞かれます。
イギリス離脱で揺らぐEU(欧州連合) - 国民投票が実施された背景 -
 キャメロン前首相は2013年1月、議会選挙で勝利して政権の続投が決まれば、EUを離脱するか残留するかの国民投票を実施すると宣言しました。
 当時、ギリシャの財政危機をきっかけにユーロ加盟国の財政赤字が次々に明らかになり、EU全体の金融不安を招き、緊縮財政を余儀なくされていました。イギリスもこうした国々の影響を受け、厳しい状況に陥り国民の不満が増大していました。さらに、EU加盟国のポーランドなど東欧からの移民が急増し、彼らに職を奪われるといった不安も高まり、EUで得られる利益より負担の方が大きいという声が高まっていました。
 また、反EUを掲げるイギリス独立党が支持者を増やし、保守党の中にもEU離脱を主張する議員も現れ、キャメロン前首相の指導力が問われ始めました。このため国民投票に踏み切り、勝利することでEU離脱派を抑え込もうとしました。

- 国民投票でイギリスがEUを離脱 -
 投票月の6月23日に向けて、残留派・離脱派ともに活発な広報活動を展開しました。残留派は、経済や安全保障などでのメリット、移民は貴重な労働力などと主張しました。一方、離脱派は、移民問題やEUへの拠出金、国の主権の保持などを訴えて国民投票に臨みました。
 EU離脱の是非を問う国民投票の結果は、離脱1741万742票(51・9%)、残留1614万1241票(48・1%)でEU離脱票が上回り、イギリスがEU加盟国の中で初めての離脱国となったのです。
 キャメロン首相はこの結果を受けて辞任し、7月13日にテリーザ・メイ氏が新首相に就任しました。メイ首相は故サッチャー氏以来、2人目の女性首相となります。イギリスのEUからの離脱手続きは、メイ新首相の手で2年かけて行われます。
- EU離脱で世界中に多大な影響 -
 国民投票の結果について、若者たちを中心に孤立主義は将来の可能性を奪いかねないとの批判は巻き起こっています。メイ首相が、今後EUとどのような融和策を取るのか注目されます。対EUとの関係では、イギリスの輸出の半分近くはEU向けで占められ、離脱によって関税が課せられれば経済面で大きな打撃を受けると予測されます。
 EUもイギリスの離脱で、これまで予算全体の11%を拠出していたイギリスを失うことで、予算規模の縮小を余儀なくされます。また、EU加盟国の中には、離脱を主張するグループが存在し、イギリスの離脱で勢いづくことも考えられます。また、EUの混乱によって、ユーロやイギリスのポンドが売られ、金融市場に大きな影響が出ると考えられます。
 現在、イギリスの離脱が決まったばかりです。これからEU離脱の手続きが進むにつれて新たな問題が浮上してくると思われます。当然、日本にも大きな影響が予想される問題も含まれるため、今後の推移を注意深く見守り続けたいものです。
バナー
デジタル新聞

企画特集

注目の職業特集

  • 歯科技工士
    歯科技工士 歯科技工士はこんな人 歯の治療に使う義歯などを作ったり加工や修理な
  • 歯科衛生士
    歯科衛生士 歯科衛生士はこんな人 歯科医師の診療の補助や歯科保険指導をする仕事
  • 診療放射線技師
    診療放射線技師 診療放射線技師はこんな人 治療やレントゲン撮影など医療目的の放射線
  • 臨床工学技士
    臨床工学技士 臨床工学技士はこんな人 病院で使われる高度な医療機器の操作や点検・

[PR] イチオシ情報

媒体資料・広告掲載について