中国の外交戦略に利用されてきた「パンダ」【国際】

中国の外交戦略に利用されてきた「パンダ」


【保護活動で絶滅危惧種から危急種に引き下げ】
 2017年6月12日、上野動物園でオスのリーリー(力力)とメスのシンシン(真真)の間に赤ちゃんが生まれました。パンダの赤ちゃんの名前はシャンシャン(香香)で、2017年12月19日に一般公開されると上野動物園は多くの人で賑わいました。
 中国にとって、パンダは「国宝」ともいえる動物です。その愛らしい姿は、日本だけでなく世界の人たちを虜にしてきました。中国はこれを利用して、パンダを外交のカードにした「パンダ外交」を推し進めています。一方、パンダはその珍しさゆえに絶滅の危機に瀕した動物でもあり、精力的な保護活動が行われています。

中国の外交戦略に利用されてきた「パンダ」 【多方面に及ぶ中国の「パンダ外交」】
- 約150年前、国際社会はパンダを知った -

 世界的な人気を誇るパンダですが、世界の人々がパンダを知るようになったのは、今から150年ほど前のことです。当時、中国は英仏連合とのアロー戦争(第二次アヘン戦争)に破れ、天津・北京で結ばれた2条約により、外国人宣教師による布教を認めていました。そんな中、アルマン・ダヴィドというフランス人宣教師がパンダの存在を知り、パンダの毛皮や骨などをパリ国立自然史博物館に送ったことで、パンダの存在が広く知られるようになりました。
 パンダが世界に知れ渡った当初、人々の人気を集めたのはパンダの珍しさでした。そして、パンダの愛らしさが人々を魅了するようになったのは、1936年にアメリカのルース・ハークネス夫人が「スーリン」と名付けたパンダを、生きたままアメリカに連れて帰ってからのことです。
 スーリンは、ブルックフィールド動物園で一般公開され、世界で初めてパンダブームを巻き起こします。公開が始まってから3ヶ月間で、ブルックフィールド動物園には32万5千人が訪れ、ぬいぐるみなどの関連商品も数多く製造されました。こうして、パンダの愛らしさと市場価値が広く認知されるようになっていきました。

- 米中の和解で「パンダ外交」が本格化 -
 中国から諸外国へのパンダの贈呈は1940年代から行われていましたが、「パンダ外交」として本格化するのは1970年代からです。その皮切りとなったのが72年2月、アメリカ、ワシントンDC国立動物園へのオスのシンシン(興興)とメスのリンリン(玲玲)の贈呈です。
 中国は冷戦下の1960年代、ソ連と共産主義の路線をめぐって深刻な対立関係にあり、武力衝突が起こるほど危機的な状況にありました。当時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンは、1949年以降断絶状況にあった米中関係の和解を視野に入れた国際戦略構想を打ち出していました。両国の思惑には合致するところがあり、1972年2月に史上初のアメリカ大統領の訪中が実現しました。この歴史的な訪中を記念して、「友好の証」としてパンダがアメリカに贈られたのです。
 ニクソン訪中で米中関係の正常化が始まり、それまで台湾(中華民国)と国交を結んでいた多くの西側諸国も、台湾を切り捨てて中華人民共和国と国交を樹立しました。これに伴い、パンダが西側諸国に積極的にプレゼントされるようになりました。
中国の外交戦略に利用されてきた「パンダ」 - 上野動物園にパンダがやってきた -
 日本もまたそのうちの一国です。1972年9月29日に北京で日本の田中角栄首相と中国の周恩来首相(ともに当時)が署名し、日中国交正常化が実現しました。これを記念して、オスのカンカン(康康)とメスのランラン(蘭蘭)が上野動物園へとやってきました。この2頭が一般公開された初日には、なんと約5万6千人もの人が上野動物園に押し寄せ、日本中がパンダ人気一色に染まりました。
 1972~80年までの8年間で、中国はアメリカ、日本、フランス、イギリス、メキシコ、スペイン、北朝鮮、西ドイツに対して、計16頭のパンダを贈呈しました。これらの国々に中国がパンダを贈った理由は様々です。共通するのは、いずれの国も中国との国交樹立と、台湾との断交に積極的だったということです。
中国の外交戦略に利用されてきた「パンダ」 - 贈呈からレンタルに外交の手法に変化 -
 1980年代に入ると、中国はパンダの贈呈ができなくなりました。81年に中国が「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)」に加盟し、84年にパンダがこの条約により商業目的とする取引が禁止されたからです。
 パンダの贈呈ができなくなった中国は、「貸与」することでパンダ外交を続けます。パンダの貸与は、政治手段として有効なだけでなく、経済的にも高額なレンタル料を得ることができるため、中国に大きなメリットがあります。
 2011年にシャンシャンの両親である、リーリーとシンシンが上野動物園にやってきたとき、東京都はパンダ保護のための支援金として、中国に年間約1億円(95万米ドル)を支払う取り決めをしました。リーリーとシンシンのレンタルは10年間契約のため、支払う総額は10億円以上となります。
 シャンシャンについては新たにレンタル料が発生しないものの、満24カ月を超えたら中国に返却しなくてはいけません。しかし、高額なレンタル料が発生する一方、シャンシャンの誕生が東京都に与える経済効果は絶大で、関西大学の宮本勝浩名誉教授は1年間で約267億円に達すると推測しています。

- パンダを使って中国の勢力圏を誇示 -
 ワシントン条約の規定でパンダの国際取引が禁じられたため、中国はパンダをこれまでとは別のかたちで政治的に利用するようになります。パンダを贈ることで、どこまでが中国の勢力圏なのかを国際社会にアピールすることです。
 1990年代末以降、香港とマカオがイギリスとポルトガルから返還されたことを祝い、中国は両国にパンダを贈りました。2008年には、対中融和政策をとっていた馬英九政権下の台湾にもパンダを贈り、台湾は中国の一部であるというメッセージを国際社会に発信したのです。
 2013年3月に習近平が中国の国家主席に就任して以降、パンダ外交はこれまでにも増して積極的に展開されています。14年にベルギー、マレーシア、16年には韓国、オランダ、17年にはドイツ、インドネシア、18年にはフィンランドにパンダを貸与したほか、デンマークへの貸与計画も発表されています。これらの贈り先は、習国家主席が唱える「一帯一路」という経済圏構想のもと、国際戦略上重要な地域と重なっています。ここからもパンダ外交は、中国の外交戦略のカードの一つとして、しっかりと位置づけられていることが見て取れます。
中国の外交戦略に利用されてきた「パンダ」 【絶滅の危機から救う、懸命な保護活動】
- 「レッドリスト」の緊急度合いが下がる -

 パンダは自然保護を象徴する動物で、世界自然保護基金(WWF)のシンボルマークにも採用されています。パンダは1990年から、国際自然保護連合(IUCN)の「レッドリスト」で「絶滅危惧種」に指定され、中国はもとより世界中で精力的な保護活動が行われてきました。
 2016年9月4日、これら保護活動の成果が実り、レッドリストの緊急度が「絶滅危惧種」から1段階低い「危急種」へと引き下げられました。レッドリストの緊急度が下げられるのはとても希なケースです。
 では、パンダはどれくらい増えたのでしょうか。中国の国家林業局の調査によると、野生のパンダの個体数はこの10年で、大人のパンダだけでも260頭以上増えていることがわかりました。2003年の調査では約1600頭でしたが、2013年末の調査では1864頭もの大人のパンダが確認され、子供のパンダも合わせると2000頭以上いると推測されています。さらに生息エリアも257万7000haとなり、10年前と比べると約12%も拡大しました。

- パンダが増えた二つの理由 -
 パンダが増えた背景には、二つの理由があります。一つは1980年代に横行していたパンダの密猟が著しく減少したこと、もう一つはパンダの保護区が大きく広がったことです。
 パンダの保護区は1963年に設置され、現在は40カ所以上の保護区域があります。中でも最大のものは、63年に設立された20万haという広大な面積を持つ「臥龍自然保護区」です。ここは四川省の省都である成都から約130㎞のところにある、アバ・チベット族チャン族自治州にある保護区です。
 臥龍自然保護区は、2008年5月の四川大地震で壊滅的な打撃を受け、保護区内のほとんどの施設が破壊されました。飼育されていたパンダも各地の動物園に移送されましたが、その後、関係者たちの懸命な活動で再建し、2016年5月までにすべてのパンダが保護区に戻りました。現在はパンダの頭数も150頭となり、震災以前の数まで回復したと発表されています。

- 野生保護とともに人工飼育にも力 -
 中国は野生のパンダを保護するとともに、人工飼育にも力を入れています。人工飼育の世界最大の拠点が四川省の成都にある「成都大熊猫繁育研究基地」です。この基地は成都市内から北へ約10㎞の斧頭山にあり、総面積36・5haもある巨大な研究拠点です。1987年3月に、中国動物協会や中国野生動物保護協会などの保護組合の支持と指導のもと、成都市人民政府が設立しました。
 成都大熊猫繁育研究基地では、野生パンダの保護活動とともに、パンダの人工繁殖と人工飼育に取り組んでいます。また、ここで人工繁殖によって生まれたパンダに、野生化訓練を施して野生に戻す試みも行っています。さらに、パンダ研究の技術開発や人材育成に力を注いでいるほか、教育観光ができる観光施設という側面もあります。

- 予断を許さないパンダの未来 -
 この成都大熊猫繁育研究基地の日本支部となっているのが、和歌山県白浜町にあるアドベンチャーワールドです。アドベンチャーワールドは、2016年9月18日に誕生したユイヒン(結浜)を含め、これまでに15頭のパンダの繁殖・育成に成功しています。これは中国をのぞくと、世界で最多の繁殖実績になります。
 このように、野生での保護活動や人工飼育を通じて、パンダの生息数は増加傾向にあります。しかし、今後、地球温暖化などの気候変動により、パンダの主食である竹がなくなるなど、パンダの生息環境の悪化が危ぶまれています。今後80年間で、パンダの生息地が30%以上も失われるという予測もあるのです。パンダが再び減少する可能性は高く、パンダの保護活動は今度も続けていく必要があります。
中国の外交戦略に利用されてきた「パンダ」 - 「一帯一路」 -
 「一帯一路」とは、中国の習近平国家主席が2013年に打ち出した経済圏構想です。一帯一路経済圏構想とは、中国から中央アジアを経由してヨーロッパにつながる陸の貿易路「一帯」(シルクロード経済ベルト)と、中国から東南アジア、スリランカ、アラビア半島の沿岸部、アフリカ東岸を結ぶ海の貿易路「一路」(21世紀海上シルクロード)を整備し、中国を中心とした一大経済圏の構築を目指しています。
バナー
デジタル新聞

企画特集

注目の職業特集

  • 歯科技工士
    歯科技工士 歯科技工士はこんな人 歯の治療に使う義歯などを作ったり加工や修理な
  • 歯科衛生士
    歯科衛生士 歯科衛生士はこんな人 歯科医師の診療の補助や歯科保険指導をする仕事
  • 診療放射線技師
    診療放射線技師 診療放射線技師はこんな人 治療やレントゲン撮影など医療目的の放射線
  • 臨床工学技士
    臨床工学技士 臨床工学技士はこんな人 病院で使われる高度な医療機器の操作や点検・

[PR] イチオシ情報

媒体資料・広告掲載について