国連の「世界津波の日」をご存知ですか?【国際】

国連の「世界津波の日」をご存知ですか?


【「稲むらの火」に由来して11月5日に】

 2015年12月、国連総会で日本など142か国が共同提案した11月5日を「世界津波の日」とする決議が満場一致で採択されました。巨大津波は度々起こるものではありませんが、ひとたび起こると被害は甚大で、しかも被災範囲が広いのが特徴です。この国連決議によって、世界中で津波の脅威についての関心が高まり、対策が進むことが期待されています。
 世界津波の日が11月5日に決まったのは、1854年(安政元年)11月5日に和歌山県で起きた大津波の際、稲むらに火をつけて村人を避難させて救い、被災地の復興に尽力した「稲むらの火」の逸話に由来しています。

国連の「世界津波の日」をご存知ですか? 【日本主導で「世界津波の日」を制定】
- 国際的な防災対策を策定する国連防災世界会議 -
 国連防災会議とは、国連の全加盟国が参加して国際的な防災対策を議論する国際会議で、ほぼ10年ごとに開催されています。 第1回世界会議は1994年に横浜市で、第2回世界会議は2005年に神戸市で開催され、2015年3月の第3回世界会議は東日本大震災の被災地の仙台市で行われました。第3回会議からは、これまでの実務者級会議から首脳級会議に引き上げられ、国連に加盟する185か国が出席しました。同時に開催されたシンポジュームなどのイベントには延べ15万人以上が参加し、日本国内で開催された国際会議としては過去最大規模のものとなりました。
 第3回世界会議では、「仙台防災枠組み2015~2030」という防災に対する新しい国際的指針が採択されました。仙台防災枠組みの中には、防災投資の重要性、多様な利害関係者の関与、より良い復興(Build BackBetter)など、日本が提案した考え方が数多く取り入れられました。災害大国である日本は、自らの体験から人道支援や復旧、災害後の対応とともに、事前の防災への投資の重要性を強調しました。このため、今後4年間で計40億ドルの協力を実施するとともに、4万人の防災・復興リーダーを育成することを表明しました。

- 「世界津波の日」策定を目指して -
 仙台市での世界会議で、日本は11月5日が日本の「津波防災の日」であることを紹介し、世界中の防災意識の向上のために「世界津波の日」の制定を提案しました。
 東日本大震災で大きな被害を受けた日本は、2011年6月に津波対策推進法によって、11月5日を「津波防災の日」と決定しました。「津波防災の日」とは、江戸時代後期の1854(安政元年)年11月5日に起きた安政南海地震の際、現在の和歌山県広川町の実業家だった濱口梧陵が自ら収穫した稲わらに火を付けて危険を知らせ、村人を高台に誘導して大津波から命を救ったという逸話「稲むらの火」に基づいて定められました。
 「世界津波の日」についても、過去に大きな被害が発生した日ではなく、早期警報と伝統的知識の活用で人々の命が救われた成功例にちなんだ日であって欲しいとの願いを込めて、11月5日を「世界津波の日」に策定しようと日本が中心となって活動を始めました。日本は世界各国に支援要請を行うとともに、国内でも100か国以上の各国大使館に働きかけた結果、各国の支援は着実に広がっていきました。そして、2015年12月に開催された第70回国連総会で、11月5日を「世界津波の日」に制定する決議が採択されました。
 今後は11月5日の「世界津波の日」に合わせ、世界中で津波防災への活動が展開されることが期待されています。日本でも「世界津波の日」の制定を契機に、世界各地で防災分野でのイニシアティブを発揮するとともに、津波観測や早期警戒などの国際的な防災協力を加速させていく方針です。
国連の「世界津波の日」をご存知ですか? 【防災教材として見直される「稲むらの火」】
- 再び脚光を浴びる「稲むらの火」 -
 2005年に神戸で開かれた国連防災世界会議で、当時の小泉純一郎首相は基調演説の中で「稲むらの火」の話を取り上げました。その中で災害についての知識や教訓を絶えず頭に入れ、災害発生時には迅速に対応することの重要性を訴えました。そして、防災上の教訓は国際的にも共有できるものであると述べました。
 国際会議で取り上げられた「稲むらの火」とは、どのような物語なのでしょう。「稲むらの火」は、1937(昭和12年)年から10年間にわたって「小学国語読本尋常科用巻十(5年生用)」に収録されています。その後、一部の人を除いて忘れられたような存在でしたが、東日本大震災で甚大な被害を被った日本はもとより、世界中で相次ぐ自然災害の発生で「稲むらの火」が再び脚光を浴びています。

- 原作は小泉八雲の「A Living God」 -
 1896年、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、「A Living God(邦訳名:生神様)」を著しました。この作品は三章からなるエッセイで、多くの犠牲者を出した1896年の三陸大津波と、伝え聞いていた1854年の安政南海地震による大津波での濱田梧陵の逸話をもとに一気に書き上げたようです。
 その中で、日本の「神」の概念と諸外国の「神」の概念が大きく異なっていることが述べられ、日本では尊敬される人物は生きながらにして神として祀られることがあると著されています。その例として、取り入れたばかりの稲むらに火を放って村人を高台にある広八幡神社の境内に導き、津波から多くの村人の命を救い、神として祀られた濱口五兵衛という人物の活躍が描かれています。しかし、実際には濱口梧陵は神として祀られていないなど実話と異なるところがあります。
 この小泉八雲の「A Living God」に深く感動した地元教師の中井常蔵は、文部省(現文部科学省)が昭和9年(1934年)に実施した国語教科書の教材公募に、「燃ゆる稲むら」として応募しました。そして昭和12年(1937年)、国語教科書に「稲むらの火」と改名して採択され、昭和22年まで10年間にわたって読み継がれました。
 中井常蔵が「稲むらの火」を執筆した動機として、和歌山師範学校在学中に「A Living God」を読んで深く感動したことや、郷土出身の濱口梧陵という偉人を顕彰しようという気持ちが強く働いたようです。
 小学生にわかるように書かれた「稲むらの火」は、「A Living God」の内容を短く凝縮しているものの、日本人の相互扶助の精神をベースに、濱口梧陵の活躍を通して防災知識や防災教訓などを伝えています。
国連の「世界津波の日」をご存知ですか? - 濱口梧陵とはどのような人物か -
 濱口五兵衛のモデルとなった濱口梧陵とはどのような人物だったのでしょう。
 濱口梧陵は1820年(文政3年)に和歌山県有田郡広川町で生れ、1885年(明治18年)に亡くなりました。濱口梧陵の実家は、代々続く醤油製造業を営んでいました。安政南海地震津波が発生した当時、濱口梧陵は35歳でこれから家業を継いで地元若手のリーダーとして力を発揮する頃でした。
 大津波に襲われた際、濱口梧陵は暗闇の中で逃げ遅れている村人を「稲むら」に火を放って、高台にある広八幡神社に導いて多くの命を守りました。その後、濱口梧陵は100年後に再来するだろう津波に備え、巨額の私財を投じて海岸に高さ約5m、長さ約600mの堤防を築き、その海側に松並木を植林して強固なものにしました。この4年にわたる大工事に村人を雇用したことで、津波で荒廃した村の離散を防ぐことにもなりました。
 安政南海地震から92年後、昭和の南海地震が発生して広川村に大津波が押し寄せましたが、濱口梧陵が築いた堤防によって村の居住地域の大部分は守られました。

- 地球を俯瞰しながら津波に備える -
 現在、津波の発生自体を防止したり、正確に予知することはできません。このため、日本のような島国や長い海岸線を持つ国では、いつ津波に襲われてもいいように備え、被害を最小限に食い止めることが重要です。また、1960年のチリ地震津波のように、日本にとって地球の裏側で発生した地震による津波が、三陸海岸沿岸を中心に押し寄せ、大きな被害を発生させました。自国での津波対策を進めることはもちろん、地球全体を俯瞰しながら津波に備えることが必要です。
 日本には「稲むらの火」の逸話にみられるように幾多の災害の経験や教訓があります。そして、日本が中心になって呼びかけた「世界津波の日」の制定が、国連加盟のほぼすべての国の賛同を得て採択された意義は非常に大きなものがあります。 「世界津波の日」制定のイニシアティブをとった日本は、これまでの経験や教訓をもとに、津波観測や早期警戒、より良い復興を目指した方策を世界に向けて発信し、国際社会が一体となって防災協力を推し進めていくことが必要です。
国連の「世界津波の日」をご存知ですか? 【津波はどのような仕組みで発生する?】
 津波の大半は地震によって起こります。地震が起こると、震源付近の地面は持ち上げられたり、押し下げられます。地震が海底で起こると、海底面の上下変化で海底から海面までの海水全体を動かし、海面も大きく上下に変化します。この海面の変化が周りに波となって広がるのが津波です。風によって生じる波浪は海面付近の現象で、波長は数mから数百mです。一方、津波の波長は数㎞から数百㎞と非常に長く、勢いが衰えずに連続して押し寄せます。しかも、浅い沿岸部付近に来ると、波の高さが急激に高くなる特徴があります。
 これまで日本で観測された一番大きな津波は、2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波で、大船渡市の綾里湾で40.1mを記録しました。これまで最大とされていたのは、1896年の明治三陸津波で、大船渡市で記録した約38.2mです。ただし、これらは記録が残っている範囲での値であり、それ以前にはもっと大きな津波が押し寄せていたかもしれません。
 気象庁は0.2m以上の津波があると津波注意報を発表します。これは、高さ0.2~0.3mくらいの津波であっても、海水全体の動きが大きくなり、人間が早い流れに巻き込まれる恐れがあるからです。
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