沖縄県と国が対立する普天間基地移設問題【国際】

沖縄県と国が対立する普天間基地移設問題


 【県民投票で72%が辺野古沖埋め立て反対】
 日本政府は、沖縄県宜野湾市にあるアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設計画をまとめ、2017年から辺野古沿岸の護岸工事に着手しています。しかし、普天間基地の閉鎖・撤去や県外移転を求める沖縄県は、辺野古への移設に反対して国と対立しています。2月24日に行われた県民投票では、投票した県民の72%が辺野古沿岸の埋め立てに反対しました。複雑な経緯をたどる普天間基地移設問題の歴史を追って考えてみました。

沖縄県と国が対立する普天間基地移設問題 - 本土防衛の前線基地となった沖縄 -
 1941年12月に始まった太平洋戦争で、沖縄は本土防衛の前線基地として位置づけられました。終戦前年の44年には、本土決戦を控えて持久戦を行うために守備部隊が送り込まれ、沖縄住民も徴用されて突貫工事で全島の要塞化を進めました。
 45年3月23日、アメリカ軍は沖縄に激しい空爆や艦砲射撃を加え、4月1日に本島中部西海岸に上陸しました。アメリカ軍の上陸によって激しい地上戦が行われ、アメリカ軍1万2500人、日本側はその約15倍の18万8000人が亡くなったとみられています。この中には10万人近い沖縄の民間人が含まれています。
 アメリカは7月2日、3か月にわたる沖縄戦の終了を宣言しました。沖縄戦のさなか、アメリカ軍は宜野湾村の一部集落を強制接収し、日本本土攻撃用の基地を建設しました。これが「普天間飛行場」の始まりです。

- 拡大する沖縄のアメリカ軍基地 -
 日本は1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾して戦争は終わりました。51年にサンフランシスコ講和条約が締結され、日本は主権を回復しましたが、沖縄はなおもアメリカ軍の統治下に置かれました。戦争終結後、世界はアメリカを中心とする西側諸国と、ソビエトを中心とした東側諸国との間で「東西冷戦」という緊張状態に入りました。このため、アメリカは沖縄の戦略的立地を重視し、講和条約締結後も沖縄を施政権下に置き、共産主義勢力の侵攻を防ぐ砦として位置づけたのです。
 50年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカ本土から沖縄への駐留軍が増加し、旧日本軍施設はもとより住民の土地も強制的に接収しました。軍事力を背景に行われた土地接収は「銃剣とブルドーザー」と呼ばれ、沖縄はアメリカに翻弄されるばかりでした。しかし、アメリカの施政権下にある沖縄では、日本国憲法は適用されず、国会議員を送り込むこともできません。

- 沖縄返還後のアメリカ軍基地 -
 アメリカ軍基地の拡大・強化に対し、沖縄住民は土地接収反対運動を繰り広げ、次第に本土復帰運動へと発展していきました。
 当時の佐藤栄作首相は、沖縄の本土復帰は国民の念願であるとし「沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらない」と述べ、「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則を打ち出しました。粘り強い交渉を経て、1972年5月15日に沖縄の祖国復帰が実現しました。佐藤首相は、沖縄の本土復帰実現や非核三原則の制定で74年にノーベル平和賞を受賞しましたが、その後、アメリカと有事の際の核持ち込みの密約が明らかになりました。
 沖縄返還後、本土ではアメリカ軍基地の整理・縮小が進みましたが、沖縄の基地は縮小されずに取り残されました。
沖縄県と国が対立する普天間基地移設問題 - 沖縄にアメリカ軍基地の70・6%が集中 -
 沖縄県の面積は約2281㎢で、香川県、大阪府、東京都に次いで4番目に小さい県です。この沖縄に31のアメリカ軍基地があり、その総面積は県全体の約8%にあたる1万8600ha、人口の9割以上が居住する沖縄本島では約15%を占めています。沖縄が本土復帰した1972年当時、全国のアメリカ軍専用施設面積に占める沖縄の割合は約58・7%でしたが、本土の基地整理・縮小が進んだ結果、現在では国土面積の約0・6%しかない沖縄に、全国のアメリカ軍専用施設面積の約70・6%が集中しています。さらに、陸上だけでなく、沖縄県周辺の水域27カ所と空域20カ所が訓練区域としてアメリカ軍管理下に置かれ、漁業への制限や航空経路への制限などが実施されています。
 また、本土のアメリカ軍基地の約87%が国有地にありますが、沖縄では約23%が国有地、残る77%が県有地や市町村地、民有地となっています。これは、本土のアメリカ軍基地の大半が旧日本軍基地をそのまま使用しているのに対し、沖縄では旧日本軍が使用した施設に止まらず、沖縄戦後も公・民有地の強制収容が続けられたためです。将来、アメリカ軍基地が返還されたとしても、沖縄では公有地が民有地に比べて極端に少ないため、円滑に跡地利用を進めるには多くの困難が予想されます。
沖縄県と国が対立する普天間基地移設問題 - 少女暴行事件を機に高まる反基地運動 -
 1995年9月、小学生がアメリカ兵3人に暴行される事件が発生しましたが、アメリカ軍は「日米地位協定」に基づき容疑者の引き渡しを拒否しました。日米地位協定は、日米安全保障条約に基づいてアメリカ軍の権限などを定めたもので、アメリカ兵の犯罪についての第1次裁判権はアメリカが優先するためです。
 抗議のために宜野湾海浜公園で行われた県民総決起大会には8万5000人もの人が集まりました。この事件をきっかけに、アメリカ軍基地の返還・閉鎖を訴える運動が高まり、96年9月に日米地位協定の見直しや、基地の整理・縮小に関する県民投票が行われました。都道府県レベルでは日本初となる県民投票の結果、89%の人が賛成しました。
 沖縄の反基地運動の高まりを受け、日米両政府は沖縄の基地削減を目指した交渉を重ね、96年3月に橋本龍太郎首相とモンデールアメリカ駐日大使との間で、世界一危険な空港とされる普天間飛行場を返還することで合意しました。しかし、同時に代替基地を沖縄県内に建設するという条件が付けられました。普天間基地移設をめぐる問題はここから始まりました。

- 2006年、日米が辺野古移設で合意 -
 普天間基地の移設候補地として浮かび上がったのが、名護市のアメリカ海兵隊基地キャンプ・シュワブがある辺野古沿岸でした。環境破壊を危惧する声や県内でのたらい回しといった反対意見が飛び交う中、98年の名護市長選挙で移設容認派の岸本健夫氏が当選し、11月の県知事選挙でも自民党推薦の稲嶺恵一氏が当選しました。そして99年に沖縄知事は候補地を名護市辺野古沿岸にすると表明し、岸本名護市長も条件付きで受け入れを認めました。
 こうした中、2004年8月に普天間基地のアメリカ軍ヘリコプターが沖縄国際大学の構内に墜落するという事故が発生しました。事故後、基地撤去を求める声は一層高まり、06年に日米両政府は、在日アメリカ軍の再編計画をまとめた「米軍再編ロードマップ」に合意しました。この合意によって、辺野古沖を埋め立てて2本の滑走路を持つ新基地を建設するとともに、アメリカ海兵隊約8000人をグアムに移すことで、沖縄市にある嘉手納基地以南のアメリカ軍基地6施設の返還・統合などが決まりました。
沖縄県と国が対立する普天間基地移設問題 - 鳩山元首相が「最低でも県外」と表明 -
 2009年の総選挙で民主党が勝利し、鳩山由紀夫内閣が誕生しました。鳩山首相は普天間基地移設問題の経緯を検証し、県外・国外移設も含めて再検討すると表明して県民の期待が高まりました。しかし、アメリカはすでに合意したロードマップの見直しに難色を示し、県外に新たな移転先も見つかりません。民主党政権は迷走し続け、12年の総選挙で敗北しました。
 自民党が政権に復帰し、普天間基地の辺野古移設計画が再び動き始めます。12年12月に発足した第二次安倍内閣は、民主党政権下で県外移設を主張していた仲井真沖縄県知事に基地負担軽減策や沖縄振興策などを示し、これを高く評価した知事は辺野古沿岸部の埋め立てを承認しました。

- 埋め立てを巡って国と沖縄県が法廷闘争 -
 埋め立て承認を受けた政府は、辺野古周辺の各種調査、設計業務の入札手続きなど移設環境の整備に着手します。こうした中、2014年2月に行われた名護市長選挙で、基地反対派の稲嶺進氏が当選しました。さらに12月の知事選挙では、辺野古沖の埋め立てに反対する翁長雄志氏が、現職の仲井真氏に大差をつけて当選しました。
 埋め立て承認を無効化するには、法的に問題があった場合の「取り消し」と、承認後に問題が出てきた場合に「撤回」を求める方法があります。翁長知事は15年10月、前知事が出した埋め立て承認の検証を行い、法的に問題があるとして承認の取り消しに踏み切りました。政府は強く反発し、沖縄県を提訴して法廷闘争を繰り広げる異例の事態となりました。16年12月に最高裁判所は沖縄県の上告を棄却し、県の敗訴が確定しました。この判決を受け、沖縄防衛局は辺野古の沿岸工事を再開しました。
 翁長知事は18年7月、埋め立て承認の「撤回」を表明し、8月末に工事は一時止まりました。沖縄県が撤回を求めたのは、埋め立て承認後に環境保全対策の不備や軟弱な地盤が見つかったためです。しかし、防衛省の効力停止の申し立てを国土交通省が認め、11月から工事は再開されました。県と政府との交渉が行われている最中の8月8日、翁長知事は急逝しました。
沖縄県と国が対立する普天間基地移設問題 - 沖縄の民意は「辺野古埋め立てノー」 -
 翁長知事死去に伴う知事選挙が2018年9月30日に行われました。オール沖縄として立候補した玉城デニー氏と、安倍政権が全面支援する前宜野湾市長の佐喜眞淳氏との事実上の一騎討ちとなる中、辺野古移設に反対する玉城氏が知事選で過去最多となる約39万6000票を獲得して当選しました。
 翁長氏の在任時から、市民団体を中心に辺野古の新基地建設に対する県民投票の実施を求める声が上がっていました。9月には県民投票に必要となる有権者の50分の1(約2万3千筆)の約4倍の9万2800筆の署名を集め、県議会に県民投票の条例制定を請求しました。これを受けて県議会で「賛成」「反対」の2択で実施することが決まりました。しかし、野党は二者択一では市民が分断される可能性があるなどと指摘し、沖縄市など5市が県民投票の不参加を表明しました。これでは県民の約3割が投票できなくなるため、与野党協議の結果「賛成」「反対」に「どちらでもない」を加えて実施することになりました。

- 県民投票で埋め立て反対が72%に -
 県民投票は今年2月24日に行われました。投票の結果、反対43万4273票(72・15%)、賛成11万4933票、どちらでもない5万2682票(8・75%)となりました。注目された投票率は52・48%と50%を超えました。
 玉城知事は県民投票で「辺野古の埋め立てを認めない」という県民の意向が示されたと述べ、政府に一日も早い普天間基地の閉鎖・返還と、辺野古埋め立て中止を求めました。政府は県民投票の結果を真摯に受け止めるとしながら、普天間基地の固定化を避けるためには辺野古移設が必要だとして埋め立て工事を継続していく方針です。
 普天間基地の辺野古移設をめぐる経過を紹介してきました。この問題はアメリカ軍基地の移転に止まらず、日本の安全保障や日米同盟の在り方に大きく関わる問題です。日本人すべてが自らの問題として考える必要があるでしょう。
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