リベラル・アーツの過去・現在・未来【科学】

リベラル・アーツの過去・現在・未来


 【人間を自由にしてきた「知」の力】
 現在、リベラル・アーツを掲げる学校が増えてきています。古代ギリシア・ローマ時代にはじまるリベラル・アーツがなぜ21世紀に注目を集めているのか、リベラル・アーツの歴史を知り、この学びの成果から期待される将来像を考えてみましょう。

リベラル・アーツの過去・現在・未来 - リベラル・アーツの歩み -
「自由人の技芸」からリーダー養成へ
 リベラル・アーツ(LiberalArts)は「教養」と訳されています。
 教養とは「個人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体」(文部科学省)と定義されています。しかし、もともとのリベラル・アーツは、古代ギリシア・ローマ時代に人びとが身につけるべき「技術・技芸」として誕生しました。
 数多くの奴隷がいたギリシア・ローマ時代の「自由人」は、奴隷ではない身分の人たちでした。奴隷に肉体労働をさせるかわりに、肉体労働から解放された「自由人」は学問や知識を身につけて暮らすべきとされました。ラテン語では「artesliberales」と呼ぶこの「自由の技術」「自由人のための技芸」が、リベラル・アーツの起源です。こうして誕生したリベラル・アーツは、文芸や音楽、幾何学などさまざまな学びを網羅していましたが、すべて生産や労働に直結するような実用的な学びではありませんでした。
 「自由人の教養」としてはじまったリベラル・アーツは、ヨーロッパでのキリスト教の拡大とともに、キリスト教の理念に即して聖書を理解するために科目の整理が進みました。
 5世紀には、文法・修辞学・弁証法の「三学」と、算術・幾何・天文学・音楽の「四科」からなる「自由七科」が、リベラル・アーツとして定義されました。文法はラテン文学の注釈、修辞学は教会の文書・法令の作成や歴史、幾何は初歩の地理学、天文学は占星術、音楽は数理的研究なども含まれ、これらを修めないと、最高の学問とされた神学を学ぶことは許されませんでした。
 11世紀末からは、ヨーロッパ各地に大学が誕生します。大学はキリスト教会付属の学校に起源をもち、ギルド(職業別組合)を組織した教師・学生は、教会や君主の干渉をはねかえして自治権をもつ大学を生み出しました。教師や学生が結成した組合はuniversitasといい、現在のuniversity(大学)の語源になっています。当時の大学は神学・法学・医学・哲学の4学部からなっており、学部教育の前提にリベラル・アーツの学びがありました。リベラル・アーツを学んだのち学部に進学して、専門の学びを深めていました。世界最高レベルの大学として知られるボローニャ大学(イタリア)、パリ大学(フランス)、オックスフォード大学(イギリス)などは、この時期に誕生しています。
 ルネサンスを迎えたヨーロッパでは、古代ギリシア・ローマ時代の古典文化が再発見され、自己の品性を高めて人間らしく生きることを理想とする人文主義(ヒューマニズム)が生まれるとともに、合理主義的な精神が生まれ科学が発達します。ルネサンス以降、ヨーロッパで啓蒙思想が広がっていくと、リベラル・アーツの内容も時代に応じた変化を迫られます。その重要なきっかけが「自由」という言葉の意味の変化です。それまでの「自由」とは、ギリシア・ローマ時代の「自由人」が非奴隷を意味したように「束縛からの解放」を意味していました。とくにイギリスで市民革命が実現したのちの18世紀に入ると、「自由」は現在のように「開かれた精神」という意味でも使われるようになったのです。これ以降、リベラル・アーツは、「自由人の技芸」という本来の意味に加えて「個人を何かから解放する教育」としても理解されるようになり、「自由七科」には経済学や自然科学など新たな科目も加わって、リベラル・アーツの学びの幅はひろがっていきました。
 アメリカ最古の大学であるハーバード大学の前身となった学校は、1636年に創設されました。イギリスからアメリカにメイフラワー号で最初の移住者が渡ってからわずか16年後のことです。移住者が学校を必要としたのは、自分たちのリーダーを養成するためでした。困難だらけの新大陸での生活を切り拓くためにも、宗教・政治の強いリーダーを必要としたのです。そのようなリーダーに期待された能力は、総合的な判断力、幅ひろい視野、コミュニケーション、優れた人格と体力などで、すべてにおいてバランスのとれた人格者を求めていました。
 このような能力を身につけるためには、ある特定の分野の知識や技術に優れた人を生み出す教育よりも、広い視野に立つことを重視するリベラル・アーツ教育がふさわしいと考えられるようになり、リーダー養成教育を重視するカリキュラムも加わることになりました。
リベラル・アーツの過去・現在・未来 - リベラル・アーツの現在 -
日本のリベラル・アーツ教育
 明治維新後に欧米の教育制度を移入した日本ですが、リベラル・アーツの理念は根付きませんでした。
 1877年に創設された東京帝国大学(現在の東京大学)の前身は、欧米の大学制度にならって法学・理学・文学・医学の4学部で構成されましたが、日本の近代化の推進を重視するその教育内容は、理学・文学などの基礎的な学問よりも、法学・医学などの実用的分野に重きを置いていたため、学問のための学問という性格を持つリベラル・アーツの意義は重視されなかったのです。
 リベラル・アーツを日本に持ち込んだのは、キリスト教の宣教師でした。宣教師が運営するミッション・スクールは、英語学習とリベラル・アーツを重視して若者を引きつけました。しかし、日本の近代化が進むとともに教養より実学を重視する流れが強まると、これらミッション・スクールでのリベラル・アーツ教育も衰退していきました。
 かわって教養を重視したのが、大学進学の予備課程であった旧制高校の教育でした。道徳や修養を重視しつつ人文学や社会科学、自然科学を幅ひろく学んだ旧制高校の教育は、日本のリベラル・アーツ教育に比せられることもあります。しかし、帝国大学進学のための予備教育の側面が強かったため、欧米のような個人の「自由」な選択や発想を後押しするリベラル・アーツの学びとは言えません。女性は旧制高校には進学できず、したがって帝国大学への進学も許されなかったように、旧制高校の教育はごく少数の男性だけが享受できる特殊なものでした。
 敗戦後の日本は、アメリカの教育システムを導入し、1948〜49年に男女共学を前提とする新制大学が発足します。新制大学は前期課程と後期課程にわかれており、前期課程で学ぶ一般教育科目(人文・社会・自然)、外国語科目、保健体育科目の3科目が教養科目とされ、それを修めて進学する後期課程で各学部の専門科目を学ぶことになっていました。たとえば、人文科目には言語学、文学、哲学、思想、歴史学などの科目が、社会科目には経済学、政治学、法律学、社会学などの科目が、自然科目には数学、物理学、化学、地学、生物学などの科目があり、これら科目群をバランスよく履修したのち、専門科目を深く学んでいました。
 リベラル・アーツ教育の理念により誕生したこれら教養科目ですが、日本の大学では教養科目は専門科目より下位の学びだという認識が強かったため、教養科目の独自の意義は軽視されがちでした。
 1991年、文部省(現在の文部科学省)・大学審議会が発した「大学設置基準の大綱化」は、旧大学設置基準で一般教育科目、外国語科目、保健体育科目および専門科目と分類されていた科目群の規定を廃止して、各大学がカリキュラムや科目を自由裁量で決められるようにしました。これ以降、各大学は専門教育を重視する方向に進み、専門教育の単位数は増える一方、教養科目の単位数は大幅に減少します。
 そのため、専門知識はあるけれども教養科目で学ぶべき社会的な常識や教養を身につけていない学生が社会へ送り出されていったのです。アメリカでも1960年代以降、専門性を身につけることを重視するあまりリベラル・アーツがおざなりとなり、リベラル・アーツ教育はリベラル・アーツの単科大学であるリベラル・アーツ・カレッジが担うようになっていきました。
 この状況に危機感を抱いた文部科学省は、2002年に「新しい時代における教養教育の在り方について」という答申を出して、大学での教養教育の重視を打ち出します。これ以降、「リベラル・アーツ」や「教養」を学部名に掲げた新学部を設置する大学が急増しました。しかし、その教育の目指すべき目標や内容については大学によってまちまちで、リベラル・アーツの定義は日本ではなお共通の理解には達していないと言えます。
リベラル・アーツの過去・現在・未来 - リベラル・アーツの未来 -
AIに負けない力
 現在のリベラル・アーツは、基礎的な教養、論理的な思考、多元的な視点の獲得を学生に促す主体的な学びの方法として注目されています。とりわけAI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)の普及にともない複雑化した現代社会では、人間だからこそ可能な仕事を実現するためには、専門科目を中心的に学ぶこれまでの大学教育ではなく、幅広い知識を身につけて多様な物事の見方を可能にするような新しい大学教育が求められるようになりました。リベラル・アーツの理念がこの求めに合致していると考えられているからです。たとえば、これまでの「理系」「文系」といった枠におさまらない学際的な科目や、「文理融合」を掲げた科目の提供、副専攻制度の導入などにより、各大学がリベラル・アーツ教育に力を注ぎはじめています。
 とくに今求められているのは、創造力やコミュニケーション能力に加え、強いリーダーシップと問題解決能力に優れた人材の輩出です。グローバル化が進む現代では、これに語学力も重視されています。アメリカでハーバード大学が創設されたのも、このような人材を輩出するためでした。したがって、リベラル・アーツ教育こそがこのような人材を生み出す原動力となるでしょう。
 しかし、産業界の要請に応えて社会に役立つ人材を生み出すことだけがリベラル・アーツ教育が目指すゴールではありません。価値観が多様化し国際化が進む現代社会に生きる一人ひとりが、自分自身の確固とした判断軸を持って人生を切り拓かなければなりません。偏見から解放されて多様な人びととコミュニケーションを重ね、自分なりの豊かな人生を送っていくことができれば、「自由の技術」として誕生したリベラル・アーツの目的は十分に達成されるはずです。「知」はわたしたちの人生を豊かにし、その可能性を拓いていくのです。
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