白い大陸、南極への挑戦【歴史】

白い大陸、南極への挑戦


【昭和基地開設から60年】
 日本からはるか14000㎞。地球の南の果てにあるのが南極大陸です。日本は1956年11月8日、永田武隊長率いる第1次観測隊53名が南極観測船「宗谷」で、東京の晴海埠頭から南極に向けて出航しました。翌57年1月29日、南極の東オングル島に到着し、ここを当時の元号「昭和」にちなんで昭和基地と名付けました。そして、今年1月29日に昭和基地の開設から60年を迎えました。南極への挑戦の歴史とともに、半世紀以上にわたる日本の南極観測の歩みを追ってみました。

白い大陸、南極への挑戦 【南極大陸の生い立ちから発見まで】
- 2億年ほど前の南極は緑の楽園 -
 南極大陸の面積は約1388万平方㎞。日本の約36倍、オーストラリア大陸のほぼ2倍に相当します。約2億年前(ジュラ紀)の南極大陸は、南アメリカ、アフリカ、オーストラリア、インド、マダガスカルと地続きの超大陸「ゴンドワナ」の一部でした。
 ゴンドワナは約1億8000万年前から徐々に分裂し、気の遠くなるほど長い時間をかけてゆっくりと移動し、現在の南極大陸が形成されました。大昔の南極は赤道付近に位置し、大森林を恐竜が闊歩する温暖な地でした。これは南極で見つかる恐竜や植物の化石が証明しています。地表を覆う分厚い氷の下には、地球の生成を解くカギがまだまだ隠されていると考えられ、多くの研究者の関心を集めています。
白い大陸、南極への挑戦 - プトレマイオスの世界地図に「未知の国」 -
 人類が南極大陸の存在に興味を示したのは、古くギリシャ時代にまで遡ります。西暦150年ごろ、物理学者であり天文学者でもあったプトレマイオスが世界地図を作っています。その世界地図の最南端に「未知の国」が示されています。
 最初に未知の国、南極に近づいたのはポリネシア人だったようです。ポリネシアのラトンガ島に、5世紀中ごろ若い首長と仲間がカヌーに乗って航海中に嵐に遭遇し、氷の浮かぶ海に到達したという話が伝えられています。本格的に南太平洋に関心が示されるようになったのは、ヨーロッパ人の活動が活発になる15世紀以降のことです。
 コロンブスの新大陸到達など大航海時代が始まり、探検家たちの興味は未知の大陸へも向けられました。ポルトガルのフェルナンド・マゼラン、オランダのアベル・タスマンなどは何度も南太平洋を航行し、彼らの探検の功績は「マゼラン海峡」など現在の地図にも記されています。18世紀に入ると、イギリスのジェームス・クックが世界で初めて南極大陸を目指しました。しかし、高緯度で南極大陸を周遊したものの大陸を発見することは出来ませんでした。
白い大陸、南極への挑戦 - 南極大陸の発見者、南極点到達者は? -
 実は3人の人が南極大陸を最初に発見したと主張しています。1820年ごろイギリスのブランスフィールド、アメリカのパーマー、そしてロシアのベリングスハウゼンです。しかし、このうち誰が最初に発見したか定かではありません。何故なら、遠くから氷の塊を見ただけで、氷の下に大地があったかどうかを確認していないからです。
 1831年に北磁極(磁針が垂直になる地点)が発見され、1909年にアメリカのピアリーによって北極点(北緯90度地点)到達が報告されると、南極点到達を目指す機運が高まってきました。 1910年にノルウェーのアムンセン、イギリスのスコット、そして日本の白瀬矗(しらせのぶ)が率いる3つの探検隊が南極点を目指しました。
 アムンセン隊は、ピアリーの北極点到達を知って目的地を南極に変え、1911年12月14日に南極点到達に成功しました。一方、スコット隊はアムンセン隊に約1か月遅れの12年1月17日に到達しましたが、その後全滅してしまいました。
 日本の白瀬隊は1910年11月、木造漁船を改良した「海南丸」で東京芝浦を出航しました。1912年1月19日、白瀬隊長ら5人は南極点へと出発しました。しかし、寒風や激しい雪面などの悪条件が重なり、1月28日に南緯80度5分の地点で南極点をあきらめ、最終到達地点を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名して帰国しました。目的を達成できなかったものの、白瀬矗は隊員全員を無事帰国させたことで、国際的にも高く評価されています。

【日本の南極観測の歴史】
- 敗戦後10年で南極観測を決意 -
 日本が南極観測を決意したのは、戦後10年が経過した1955年のことです。ベルギーで開催された国際地球観測年特別委員会で、日本は南極観測への参加を表明しました。しかし、欧米諸国の中には、敗戦国日本が国際社会に復帰することへの根強い反対意見もありました。それでも日本の参加を後押しする国もあり、欧米諸国以外の国では日本だけが南極観測に参加することになったのです。
 当時の日本は、戦争の惨禍を引きずる貧しい国でしたが、一大国家プロジェクトとして南極観測をスタートさせました。このプロジェクトを成功させるため、全国的な募金活動を展開するなど、国を挙げての支援体制で臨みました。
 こうして1956年11月8日、永田武隊長以下53名の観測隊員を乗せて南極観測船「宗谷」は、東京晴海埠頭から南極に向けて出航しました。

- 第1次観測隊の前に立ちはだかる壁 -
 宗谷は南極大陸への接岸を目指し、氷海を進みながら偵察した結果、基地をホルム湾の入り口にある東オングル島に決定し、物資の輸送を始めました。そして1957年1月29日、隊長や船長、隊員の多くが参加して上陸式を行い、観測の拠点となる基地を「昭和基地」と命名しました。
 宗谷は西堀隊長以下11名の越冬隊と越冬に必要な物資、19頭のカラフト犬を送り届けることに成功しましたが、帰路は厚い氷に閉じ込められて動けなくなりました。しかし、近くにいた旧ソ連の砕氷艦「オビ号」に助けられて脱出することが出来ました。当時、東西冷戦の真っ只中で、日本とソ連は友好国ではなかったものの、南極での助け合いは大きく報道されました。
 越冬隊は各自の研究テーマに沿って観測に励みました。しかし、風速50mを超えるブリザードで観測用の建物の一部が吹き飛ばされたり、氷の割れ間から食料が流されたり、観測小屋が火災で焼失するなど、命の危険と隣り合わせた日々を過ごしました。
白い大陸、南極への挑戦 - タロとジロ奇跡の生還 -
 第2次観測隊を乗せた宗谷は1957年10月21日、東京日の出桟橋を出航しました。昭和基地まであと200㎞の地点で宗谷は氷の壁に閉じ込められ、アメリカに救助を求めました。1958年2月7日、アメリカの砕氷船「バートン号」が到着し、その後に続いて氷海を進みましたが、それでも限界が来ました。このため、小型飛行機で第1次越冬隊を収容し、第2次越冬隊を送り込むことにしました。
 しかし、猛吹雪が続き天候が回復する兆しが見えず、このままでは宗谷自体が遭難する可能性があるため、越冬を断念することになりました。越冬を前提にしていたため、昭和基地に15頭のカラフト犬が鎖につながれたまま置き去りにされました。
 翌1959年1月14日、第3次隊のヘリコプターが昭和基地に到着すると、遥かかなたから2頭の犬が近づいてきました。タロ、ジロの生存は日本で大きく報道され、この逸話は高倉健さん主演の映画「南極物語」になり大ヒットしました。

- 現在、57次隊と58次隊が活動中 -
 日本の南極観測は、宗谷の老朽化などで1962年の第6次観測隊から中断し、1965年に砕氷船「ふじ」の竣工によって第7次観測隊から再開されました。それ以降、今日まで途切れることなく観測隊が派遣され、越冬も毎年行われています。その後、砕氷船は「しらせ(初代)1983年~2008年」に引き継がれ、現在活動中の57次隊と58次隊は「しらせ(2代目)2009年~」で昭和基地に向かい、調査・研究活動を行っています。この間、村山雅美隊長率いる第9次越冬隊が日本人では初めて南極点に到達しています。また、世界で採取された隕石の約3分の1の隕石を採取、オゾンホールの発見、氷床の掘削、動植物の調査などで多くの成果を収めています。
 現在、日本は昭和基地を中心に、みずほ基地、あすか基地、ドームふじ基地の4つの基地を持っています。これらの基地で観測を行うのは、夏の3ケ月間南極に滞在する夏隊と、1年を通して南極に滞在する越冬隊、それぞれ30名前後です。
 そして、昭和基地開設から60年になる今年、日本で5番目となる基地建設が動き出すことになりました。11月に日本を出発する第59次観測隊が、100万年前の氷の入手などを目的に観測場所を選定し、5年後の基地完成を目指しています。

【南極は国境のない大陸】
- 28カ国が南極で観測活動 -
 1957~58年、世界66カ国が参加して「国際地球観測年」というプロジェクトがスタートし、日本もこれに参加する形で南極観測をスタートさせました。2010年現在、28カ国が南極に基地を設け、継続的に観測活動を行っています。
 多くの国々が南極で観測活動を行っているのは、南極は地球が誕生してから現在までの情報を、厚い氷の下に閉じ込めている巨大なタイムカプセルだからです。南極大陸を調査することで、地球の環境変動の要因を解明するだけでなく、宇宙空間の変動を解明し、その変動を監視することが出来ます。つまり、南極は地球や宇宙を覗き見る格好の地点です。このため、世界各国の研究者が集まり、情報交換しながら地球の生い立ちや未来の姿を科学的に解明しようとしています。

- 南極の平和利用を定めた「南極条約」 -
 南極は地球の現在・過去・未来を知る人類共通の貴重な財産です。しかし、20世紀に入ってイギリスなどが南極に一部の領土権を主張するようになりました。
 このため、1959年にワシントンで開かれた会議で、南緯69度以南の南極大陸は平和的目的にのみ利用されると定め、領土権の主張や軍事目的の使用を禁じる「南極条約」が締結されました。南極条約の原加盟国は日本を含む12カ国、2013年現在では50カ国となっています。
 現在では条約に示された「科学的調査の自由と国際協力」にあるように、各国の研究者が互いの基地を訪問して情報交換や、共同研究を行いながら地球の未来の解明に取り組んでいます。南極という稀有な大地を保護し、まだ知られていない地球の秘密を解き明かして欲しいものです。
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