農業革命・産業革命と世界人口【歴史】

農業革命・産業革命と世界人口


【超長期的人口推移から考える人口の世界史】
 2017年、世界の人口は75億人に達したと推定され、なお増加を続けています。有史以来、人類はどのように増加してきたのでしょうか。歴史人口学の視点から調べてみました。

農業革命・産業革命と世界人口 【人口推移から考える世界史】
- 2億年ほど前の南極は緑の楽園 -
 人口増加が世界に及ぼす影響をはじめて考察したのは、イギリスの経済学者・マルサスです。マルサスは、著書『人口論』(1798年)で、人口は抑制されない限り幾何級数的に増加(1、2、4、8、16・・・・)するのに対して、食糧供給は算術級数的にしか増加(1、2、3、4、5・・・・)しないため、人類がある程度の人口増加を遂げると、食糧が不足して飢餓や疫病、戦争が起こり、人口が減少していくという理論を示しました。

- 歴史人口学の可能性 -
 1950年代半ばに始まった歴史人口学という研究は、有史以来の人類の人口をデータに基づいて推測してきました。ヨーロッパ・中国・日本には、信頼できる人口データが残っていますが、それ以外の地域には人口データが残っていないため、人口を支える食糧生産力などから推測するしかありません。
 ヨーロッパでは洗礼、婚姻、埋葬などを記録したキリスト教会の教区帳簿(フランス)や、住民台帳(イギリス)から復元した家族構成が人口データとして利用されています。古代から戸籍制度があった中国では、各時代の人口がかなり正確にわかっています。日本では江戸時代以降、キリスト教を弾圧するために作られた宗門改帳で各個人の出生から死亡までを記録しており、これによって相当正確な人口がわかるようになっています。

- 世界人口増加とグローバル・ヒストリー -
 世界人口はマルサスの理論通りに増加、または減少したのでしょうか。人口データの制約のため、有史以来の世界人口がどう増減したのかを数値で知るには、ヨーロッパや中国など限られた地域の事例しかありません。
 近年では、気候変動や地理的条件、社会組織、賃金や物価水準などに注目したより広い分析視野から、世界人類の歴史を長期的に見ていこうとするグローバル・ヒストリーと呼ばれる新しい歴史研究が生まれています。この研究により、16~18世紀の小氷河期に、世界各地で同時多発的に人口減少が起こったことなどがわかってきました。これまでの歴史学の方法とは違って、自然科学の研究成果も参照して人類の歴史を描き直すグローバル・ヒストリーの成果は、グローバル化が進むこれからの世界の行方を長期的に考えるための重要な材料です。
農業革命・産業革命と世界人口 - 定住・農耕のはじまり -
 人類が世界にひろがった1万年前の世界人口は、当時の食糧事情から500万人程度(現在の福岡県の人口と同程度)と推測されています。この頃、西アジアのチグリス・ユーフラテス川流域では、野生のヒツジやブタ、ヤギの家畜化、野生種の麦の栽培化が行われ、人類は定住生活をはじめました。牧畜と農耕が発展した地には人びとが集まり、定体することで国家が生まれ、文明が誕生しました。
 パレスチナでキリストが誕生した1世紀はじめの世界人口は、約3億人にまで増加します。この時期の世界人口の半数以上が、文明が発達したアジアとヨーロッパに集中しており、このような状況は中世の終わりまで続きます。
 1世紀以降、アジアの人口は順調に増加していきます。1世紀はじめの人口が3300万人と推測されるヨーロッパでは、ローマ帝国の滅亡による混乱などが影響して、7世紀はじめには人口が約1800万人と半分近くまで激減します。

- 中世の農業技術革新 -
 ヨーロッパの人口が増加に転じたのは、11世紀から12世紀にかけて農業技術の革新による食糧供給の増加があったからです。冬小麦、春小麦、休耕地と農地を三分割して利用する三圃式農法の開発、水車や風車・牛馬の利用、鉄製農具の普及で、農業の生産性は大幅に増大しました。また、中央ヨーロッパでの開墾事業により、農地が増えたことも人口増加に貢献しました。
 アジアでは、二期作により水稲の生産性が高まり、さらに人口が増加しました。

- 疫病・戦争による人口減少 -
 13世紀から14世紀にかけては、ヨーロッパでもアジアでも人口減少が起きました。その最大の原因は、死に至る疫病として恐れられたペスト(黒死病)の流行でした。
 14世紀はじめに中国で猛威をふるい、中国の人口を半減させたペストは、ユーラシア大陸の東西をつなぐ交易路・シルクロードを経てヨーロッパに伝播し、ヨーロッパの全人口の3分の1が死亡したといわれています。ペストによる被害は、人口減少にとどまらず、ヨーロッパの政治や経済にも大きな混乱をもたらしました。イギリスとフランスの間で戦われた百年戦争(1339~1453年)は、西ヨーロッパを荒廃させ、ペストに続いて人口を減少させました。
 アジアでは、13世紀に興ったモンゴル帝国の領土拡大に伴う混乱で人口が停滞・減少しました。
農業革命・産業革命と世界人口 - 18世紀イギリスの産業革命と人口急増 -
 ヨーロッパで指導的地位を確立したイギリスは、北アメリカやインドに広大な植民地を獲得しました。国内では工場制手工業(マニュファクチュア)の発達や貿易の発達により資本を蓄積しつつ、囲い込み運動(エンクロージャー)による安価な労働力を大量に確保して、世界に先駆けて産業革命を実現しました。
 産業革命により、農村を離れた若者は、都市の工場などで賃金労働者として働くようになり、若くして結婚して家庭を持つようになります。そのため、産業革命後のイギリスでは出生率が上昇して、人口が急増したのです。イギリスに続いて産業革命を実現したヨーロッパ諸国や、18世紀末にイギリスからの独立を達成したアメリカでも人口が急増します。ヨーロッパの人口は、産業革命前後の100年で倍増し、1900年には約4億人に達します。
 ヨーロッパでは、産業革命と前後して、出生率も死亡率も高い「多産多死」から、死亡率だけが低下する「多産少死」を経て、出生率も低下する「少産少死」に移行しました。
 中国でも18世紀に人口が急増しています。人頭税が廃止されたため(地丁銀制の制定)に、人びとが正確な人口を国に申告しはじめ、さらにサツマイモの栽培拡大による食糧増産によって人口が増加していきました。

- 世界的規模での人口爆発 -
 イギリス産業革命直前の1750年から200年間で、世界人口は7億人から25億人と3.5倍近く増加しました。そして、1950年から2000年までの50年間で、世界人口は61億人まで急増します。1950年以降に人口が急増したのは、インド、中国、そしてアフリカ諸国です。
 1979年に「一人っ子政策」を導入した中国では人口増加が鈍りますが、インドやアフリカでは、なお高い出生率により人口増加が続いています。

- 日本の人口増加の推移 -
 2016年の日本の人口は、1億2711万人と、1920年の国勢調査の開始以来、はじめて減少に転じました。1920年の人口は5596万人だったので、100年で日本の人口は倍増しています。このような人口増加は、日本の歴史上、過去に3回ありました。

- 過去3回あった人口の急増時代 -
 1回目は、弥生時代(紀元前1世紀)から奈良時代(8世紀)にかけてです。弥生時代に入り、定住生活をはじめた日本の人口は、60万人程度でした。中国大陸から伝わった稲作により食料供給が安定し、国家が形成されたことで、奈良時代の終わりには、550万人程度にまで人口が増加します。室町時代初期(14世紀はじめ)まで、人口増加はゆるやかに進みました。
 2回目の人口増加は、室町時代から江戸時代のはじめ(17世紀はじめ)に起きました。二毛作の拡大、農作業への牛馬の使用、灌漑設備の整備などが進んだことで、農業生産力が高まったうえ、商業が発達して都市と農村の間の人の移動が活発になったことなどが、人口増加を促しました。室町時代初期の人口が820万人と推定されたのに対し、江戸時代のはじめには1230万人程度にまで増加しました。
 16世紀の終わり、豊臣秀吉が実施した太閤検地で全国の農地面積が確定され、それまで有力農民の支配下にあった隷属農民が小農として経済的に自立し、結婚してそれぞれ家族を持ちました。そのために出生率が上昇したことで、江戸時代前半(17世紀)に3回目の人口増加が起きました。江戸時代のはじめに1230万人程度だった日本の人口は、100年後の享保年間には3130万人に激増しました。
 享保6年(1721年)には、将軍・徳川吉宗が人別帳の作成を命じ、幕府による全国の人口調査がはじまりました。1726年以降は、6年ごとに調査が行われています。享保年間の江戸には約100万人が暮らしていたとされ、江戸は世界トップクラスの大都市になります。同時代の大坂の人口は40万人程度です。幕府のおひざもと・江戸の人口の半分は武士でしたが、「天下の台所」と呼ばれた日本の商業の中心地・大坂の人口のほとんどは町人でした。
 江戸時代の後半にさしかかると、日本の人口増加は横ばいになり、明治維新までほとんど人口は増えません。人口増加を抑制したのは、農業生産力の頭打ちです。耕地面積の増大が難しかったうえ、18世紀には世界的な気候変動の影響を受けた異常気象によって農作物の不作が続き、多くの人が飢え死にすることもありました。
農業革命・産業革命と世界人口 - 明治時代は「多産多死」の時代 -


 明治維新直後の日本の人口は3330万人程度と推定されます。この時期は、出生率・死亡率がともに高い「多産多死」でした。
 都市では幕末の開港以降、伝染病の流行が繰り返され、死亡率は江戸時代より高くなりました。日清戦争後に軽工業の産業革命を、日露戦争後に重工業の産業革命を達成したことで、工場労働者が急増します。しかし、紡績業では劣悪な労働条件から結核を患う人が多く、若くして命を落とす労働者がたくさんいました。また1918年の世界的なインフルエンザの大流行(スペイン風邪)で、世界中で5000万人以上が死亡し、日本でも38万人が亡くなりました。

- ベビーブームが去って人口減少へ -
 1920年代に入ると、医学や公衆衛生の発達、生活水準の向上により、都市での死亡率が低下します。続いて、都市での晩婚化・核家族化により出生率も低下して、出生率・死亡率がともに低い「少産少死」に転換が始まりました。
 1945年の敗戦後には、ベビーブームにより出生率は一時的に増加しますが、1948年に人工妊娠中絶が合法化されたこともあって、1950年以降、出生率は年々低下しました。ベビーブーム世代は「団塊の世代」と呼ばれ、日本の高度経済成長を支える原動力となりました。
 そして現在、1920年の国勢調査の開始以来、日本は初めて人口減少に転じ、少子高齢社会が到来しました。人口減少と高齢化による経済活動の鈍化、社会保障費の増大など様々な問題が指摘されています。このため、政府は人口減少を食い止めるためさまざまな施策を打ち出しています。
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