「富岡製糸場と絹産業遺産群」 が世界遺産に【文化】

「富岡製糸場と絹産業遺産群」 が世界遺産に


【日本の世界遺産登録は18件目】
  カタールのドーハで開催されていた第38回世界遺産会議で新たに26件が登録され、これで世界遺産は1007件になりました。日本からは「富岡製糸場と絹産業遺跡群(群馬県)」が世界遺産に登録されました。今回の登録で、日本の世界遺産は18件となり、文化遺産としては14件目(自然遺産は4件)となります。

「富岡製糸場と絹産業遺産群」 が世界遺産に - 世界遺産は未来へ引き継ぐ大切な遺産 -
 世界遺産とは、全人類にとって普遍的な価値を持ち、過去から現在、そして未来へ引き継がなければならない大切な遺産です。
 1960年代、ユネスコはアスワンハイダムの建設で、ナイル河域にあったアブ・シンベル神殿などがあるヌビア遺跡を水没の危機から救うため、水没遺跡救済キャンペーンを展開しました。これをきっかけに、「人類共通の遺産の保護」という考え方が世界中に広がっていきました。そして、1972年にパリで開催されたユネスコ総会で、「世界遺産条約(世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約)」が20カ国によって締結されました。
 世界遺産には、顕著な普遍的価値を持つ建築物や遺跡などの文化遺産、地形や地質、生物多様性といった自然遺産、文化と自然の両方を兼ね備えた複合遺産の3種類があります。
 世界遺産の第1号は、1978年に登録されたドイツのアーヘン大聖堂やエクアドルのガラパゴス諸島など12件(自然遺産4件、文化遺産8件)。現在では1007件(文化遺産780件、自然遺産197件、複合遺産30件)と増加し、条約加盟国は190カ国となっています。
 日本は1992年に世界遺産条約に加盟し、翌1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」、「姫路城」の2件が文化遺産に、「白神山地」と「屋久島」が自然遺産として世界遺産に登録されました。そして、今回の「富岡製糸場と絹産業遺産群」の登録で18件目となりました。

- 殖産興業の中心は生糸 -
 明治維新後、明治政府は欧米を中心とした先進諸国と対等な立場にするため、産業の振興を通じて富国強兵をめざすという殖産興業を重点施策に据えました。
 なかでも生糸は主要な輸出品目であり、輸出総額の70%以上を占めたこともあります。このため、政府は近代的な製糸工場を国内に建設することが日本の産業発展の基礎になると考えました。しかし、民間資本による工場建設は困難なため、1870年(明治3年)に国営事業として模範工場を建設することに決定しました。模範工場の基本的な考え方は、外国から最新の製糸器械の導入、外国人指導者の招聘、さらに全国から工女を募集し、器械製糸の技術を習得した工女を指導者として出身地に戻すというものです。

- 模範工場は養蚕が盛んな富岡に -
 横浜のフランス商館に勤務していたポール・ブリュナなどが、工場建設候補地として信濃、武蔵、上野(今の群馬)などを調査し、上野の富岡に建設が決まりました。その理由として、富岡周辺は養蚕が盛んで生糸の原料の繭が確保しやすいこと、広大な用地と用水の確保や燃料の石炭が近くで採れることなどがあげられます。
 ポール・ブリュナは、候補地を決めるだけでなくフランスから製糸場に必要となる技術者を招いたり、日本人に合うように改良した器械を取り寄せました。後に初代場長となる尾崎惇忠は、政府の役人として建設当初より建設資材の調達などに奔走するとともに、娘を工女1号として入場させたことでもよく知られています。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」 が世界遺産に - 和洋技術を融合した「木骨煉瓦造」 -
 1872年(明治5年)に完成した工場は「木骨煉瓦造」で、建築物としても高く評価されています。主な建物の骨組みには木が用いられ、壁には煉瓦が積み上げられ、屋根は伝統的な日本瓦で葺くなど、日本と西洋の建築技術がうまく融合しています。
 繭を生糸にする繰糸場は長さ140.4m、幅12.3m、高さ12.1mで、この中に300人取りの繰糸器が設置され、全国から集まった工女たちの手によって本格的な器械製糸が始まりました。外国人指導者が去った1876年(明治9年)以降、日本人だけで操業しましたが、品質に重点を置いて生産された生糸は海外でも高く評価されました。
 当初の器械製糸の普及や技術者育成という目的が果たされた頃、官営工場の払い下げを受けて1893年(明治26年)に三井家に払い下げられ、1902年(明治35年)には原合名会社に譲渡されました。その後、1938年(昭和13年)に株式会社富岡製糸所として独立し、翌1939年に日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式会社(現・片倉工業)に合併されました。
 その後も操業を続けてきましたが、1987年(昭和62年)に生糸の値段の低下などによって操業を停止しました。しかし、工場内の建物は当時のまま大切に保管され続けてきました。

- 4つの資産で富岡製糸場と絹産業遺産群を構成 -
 今回登録されたのは「富岡製糸場」のほか、田島弥平氏が通風を重視した蚕の飼育法を大成させた養蚕農家の原型ともいえる「田島弥平旧宅」。
 高山長五郎氏は通風と温度管理を調和させた蚕の飼育法を確立させました。その養蚕教育機関として大きな役割を果たした「高山社」。
 「荒船風穴」では、岩の隙間から吹き出す冷風を利用して蚕種を貯蔵しました。これにより、当時年1回だった養蚕を複数回可能にし、繭の増産に大きく貢献しました。
 これら4つの資産で「富岡製糸場と絹産業遺産群」を構成しています。産業の近代化に貢献した近代産業遺産としては、わが国では初めての登録となります。
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