観測史上最大のM9.0を記録した巨大地震【環境】

観測史上最大のM9.0を記録した巨大地震

 東日本大震災は、2011年3月11日14時46分に、三陸沖の深さ約24㎞の海底を震源として発生しました。地震の規模は、日本での観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、最大震度は宮城県栗原市で7を記録しています。このため、震源域を中心に広い範囲で地震による被害が発生するとともに、沿岸部には最大溯上高約50mという大規模な津波が押し寄せ、各地で甚大な被害をもたらしました。
 東京電力福島第1原子力発電所では、地震や津波ですべての電源を喪失し、原子炉や使用済み核燃料の冷却が不能になりました。この結果、炉心溶融や水素爆発を起こし、放射性物質が外部に放出されるという深刻な原子力事故を起こしました。
 東日本大震災から約半年、巨大地震はどのように起こったのか、どれだけの被害を及ぼしたのか、これから私たちが出来ること、すべきことなどを考えてみました。

観測史上最大のM9.0を記録した巨大地震 - 揺れが長く続いたプレート境界型地震 -
 地震発生当初、気象庁はこの地震を「東北地方太平洋沖地震」と呼び、各自治体や報道各社は独自に「東日本大震災」や「東北関東大震災」、「東北沖大震災」などと称していました。東日本大震災と統一されたのは、4月1日の閣議で地震の名称を「東日本大震災」とすることを了承したためです。
 日本列島は、太平洋プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレートの4つのプレートがせめぎ合う地点に立地し、別名地震列島とも呼ばれています。今回の地震は、宮城県の牡鹿半島の東南東約130㎞、海底30㎞、三陸沖と呼ばれる地点が震源地です。そして、太平洋プレートと北アメリカプレートの境界に沿って、幅約200㎞、長さ約500㎞にわたってプレートが破断しました。
 長い時間揺れが続いたのは、三陸沖から茨城沖までプレートが順次破断していったことを表しています。青森県から神奈川県にかけて、震度4以上の揺れが2分以上続き、福島県のいわき市では3分10秒にも達しました。

- マグニチュード(M)と震度はどう違う -
 東日本大震災はマグニチュード9.0最大震度7という大震災でしたが、このマグニチュードと震度はどう違うのでしょうか。
 マグニチュードとは、アメリカの地震学者リヒターが考案したもので、地震そのもののエネルギーの大きさを表しています。マグニチュードが1上がるだけで、エネルギーは32倍になり、今回のM9.0 はM8.0の1024倍という巨大なエネルギーを放出したことになります。
 一方、震度とは場所ごとの揺れを計測したもので、震源からの距離、震源の深さ、伝播経路、観測点の地盤条件などによって異なります。1884年に日本で初めて制定され、現在では、気象庁震度階級表に基づいて10に分類されています。
 マグニチュードは国際基準になっていますが、震度は国によって分類が異なります。このため、国際的な表記はマグニチュードで行なわれています。
観測史上最大のM9.0を記録した巨大地震 - 地震の被害に加え、巨大津波が追い打ちを!! -
 最近、震度7を記録した地震として1995年の阪神・淡路大震災と、2004年の新潟県中越地震があります。東日本大震災は、これらと同じ震度7の地震でしたが、その被害は甚大なものとなっています。
 阪神・淡路大震災は、都市部の直下型地震で6434名が命を奪われ、被害額は約10兆円にも達しました。新潟県中越地震も直下型地震で、68名が命を落とし、被害額は約3兆円となっています。
 今回の東日本大震災では、2万人を超える死者、行方不明者を出し、被害額は20兆円を上回ると予測されています。このように東日本大震災の被害が目立っているのは、史上最大の地震に見舞われ、これによって引き起こされた巨大津波で沿岸部の多くの市町村が、津波に丸ごと呑み込まれたためです。
観測史上最大のM9.0を記録した巨大地震 - たびたび巨大津波に襲われた三陸地方 -
 三陸地方はリアス式海岸で構成され、沖合は北アメリカプレートと太平洋プレートがせめぎ合う地震の多発地帯で、津波による被害も数多く経験しています。よく知られているものとして、1896年に2万人を超える死者・行方不明者を出した明治三陸地震や、南米チリで1960年に発生した地震で6mの津波が押し寄せ、142名もの死者を出した南米チリ地震があります。
 三陸地方は、こうした苦い経験を持っているため、大きな防波堤を設けて津波に備えてきました。大船渡市では、チリ地震津波などを参考に大規模な防波堤を建設し、釜石市では世界一の防波堤が作られました。
 しかし、今回の津波はこうした防波堤を軽々と乗り越え、市街地に一気に押し寄せました。過去の経験に学ぶことは大切ですが、今回は1000年単位で考えなければならない想定外の大震災となりました。過去の津波体験を見直すとともに、防波堤に頼るだけではなく津波に強い町づくりを考える必要がありそうです。

- 50mを超える津波はこうして発生 -
 東日本大震災は、太平洋プレートが北アメリカプレートの下に500㎞にわたって潜り込むことによって発生しました。今回、震源地が海底であったため、プレートの破断面が大きく上下に揺れることで海水を持ちあげ、その波が津波となって押し寄せたのです。
 津波は360度あらゆる方向に広がって行きます。三陸沿岸のリアス式海岸に近づいた津波は、奥に行くに従って狭くなる地形のため、行き場を失った海水は通常の何倍もの高さになって押し寄せました。
 津波の高さは検潮所で観測されますが、今回予想を上回る高さの津波が押し寄せたため、検潮所が被害を受けて観測が不能になりました。正確なデータは津波発生後、津波の痕跡を求めて調査が進められ、50mを超える高さの津波が押し寄せた地区があることが判明しています。
 ちなみに、「津波」という言葉の語源は、1946年にアラスカで発生した津波がハワイに押し寄せ、日系人が「津波が来た」と日本語で叫んだことが始まりです。これがメディアを通して大きく報道され、以降、津波は世界共通語として使用されています。
観測史上最大のM9.0を記録した巨大地震 - 日本の地形が変わってしまった? -
 地震によって陸地はある程度動きますが、東日本大震災では専門家も驚くほど大きな動きを見せています。国土地理院のGPSの観測によると、宮城県の石巻市の電子基準点「牡鹿」が、東南東方向に5・3m、下方向に1・2m移動したことが分かりました。
 海岸線は地盤沈下し、居住区でも何時までも水が引かない地域や、満ち潮になると浸水する地域が確認されています。海岸線の水没で、将来的には地図の書き直しが必要になると指摘されています。国土地理院は、被災者への配慮などで、当面地図の書き換えは見送る方針だとのことです。
 また、千葉県などでは、地面から土砂交じりの水が噴き上げる「液状化現象」がみられました。埋立地などでよく見られる現象で、普段は固まっている地盤が地震で振動すると緩んで体積が増え、圧力を受けた水分が土砂と一緒になって地上に噴き出します。液状化に襲われた地域では、家などの建造物は傾き、場合によっては崩壊することもあります。

- 原子力発電所と火力発電所の違い -
 原子力発電と火力発電は、同じような仕組みで電気を発生させています。つまり大量の水を沸騰させ、その蒸気で発電タービンの羽根を回して電気を起こします。違いは水を沸騰させる燃料で、火力発電所では石油や天然ガス、石炭などを燃やすのに対し、原子力発電所ではウランを核分裂させて得られるエネルギーを使用していることです。
 石油や天然ガスは輸入に頼るほかなく、その相手国には政情不安定な国が含まれます。また、燃やすと環境汚染につながるCO2を発生させてしまいます。原発では、ウランという少ない燃料で莫大なエネルギーを確保し、CO2も排出しません。その結果、原発は発電コストも低く、環境面でも優れているため急激に広まって行きました。
 反面、核反応をコントロールする難しさ、放射線が危険であること、核廃棄物の処理などの問題を抱え、今回の福島原発事故でこれらの不安が現実のものとなりました。
観測史上最大のM9.0を記録した巨大地震 - 福島第1原発事故は、レベル7の深刻な事故 -
 日本はこれまで地震や津波を幾度となく経験しましたが、国民の英知でこれら自然災害を乗り越えてきました。しかし、これほど大きな原発事故は初めての経験で、その深刻度は国際原子力事象評価基準で「レベル7」に位置付けられています。
 こうした深刻な原発事故は、1979年のアメリカ・スリーマイル原発事故で、スリーマイル島の原子力発電所の炉心溶融事故があり、深刻度はレベル5と評価されました。この事故の影響で、アメリカは新しい原発建設が中止され、今日に至っています。
 1986年には、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所が爆発炎上し、大量の放射性物質を大気中に放出する史上最大の原発事故を起こしました。チェルノブイリ原発事故が世界中に及ぼす深刻な影響を考慮し、国際評価基準で最高のレベル7に位置付けられました。今回の福島第1原発事故は、このチェルノブイリ原発事故と同等の深刻な原発事故なのです。

- 電源が停止し、原子炉を冷却できず大事故に -
 福島第1原発は、5mの津波にも対応できるように設計され、原子炉などの中心設備も各種安全装置が施されていました。ところが、想定を大きく上回る14mを超える津波が各種安全対策を打ち砕いたのです。
 事故直後、自動的に制御棒が機能して核反応を停止させました。しかし、停止後も燃料棒から放出される崩壊熱を取り除くため、冷却を継続しなければなりません。ところが、地震や津波で電源が停止したことで冷却用ポンプが機能しなくなり、冷却水を循環させることが出来なくなったのです。
 この結果、圧力容器内にあった循環水は蒸発し、燃料棒は露出して溶け落ちていきます。燃料棒を構成する合金の温度が上がり、化学反応を起こして水素を発生し、軽い水素は圧力容器から格納容器に流れて原子炉上部で爆発し、放射性物質を大気中に放出させてしまったのです。

- いつ、原発事故は収束するのでしょうか? -
 東京電力は、福島第1原発の収束への工程表を発表しています。これによると来年1月頃を目途に原子炉を冷温停止状態にするとしています。冷温停止状態とは、電気が安定した状態で確保し、冷却システムが作動して燃料棒の崩壊熱を除去できる状態のことです。現在、冷温停止に向けて作業が進められていますが、飛散した放射性物質や高濃度に汚染された水を取り除かなければ本格的な作業に入れません。このために、時間がかかっているのです。
 ちなみに、1979年のスリーマイル島の原発事故は、福島第1原発と同様に水素爆発が起き、放射性物質が飛散しました。この時の対応は、ひたすら冷やし続けて一段落したのは約1ヵ月後。作業員が防護服を着て本格的作業に入るまでに1年以上を要しました。そして、すべての事故処理を完了したのは11年後だったのです。
 1986年のチェルノブイリ原発事故では、事故直後大量の作業員を投入し、約半年かけて「石棺」と呼ばれるコンクリートで原発を覆いました。石棺の耐用年数は約30年とされ、今後の老朽化対策が注目されています。このように原発事故が起こると、収束までに数年から数十年という非常に長い時間と労力が必要になります。

- 広範囲に広がる東日本大震災の影響 -
 東日本大震災から約6ヵ月が経過し、現地では復興・復旧に向けて、ゆっくりではありますが着実な一歩を踏み出しているようです。ところが、深刻な原発事故の影響は時間の経過とともに拡大しています。
 地震直後、各地の発電所が被害を受け、計画停電が実施されました。水道水から基準値を上回った放射線量が検出され、ペットボトルの飲料水が飛ぶように売れました。また、基準値を上回った農産物や牛肉が回収され、農家は壊滅的な打撃を受けています。各所で風評被害も発生しています。観光客は激減し、観光関連業界は大きな打撃を受けています。日常生活でも、電気の需要がピークに達する夏場には節電が叫ばれました。このままでは暖房需要が高まる冬期にも節電が求められるでしょう。
 このように東日本大震災の影響は、被災地だけでなく日本全体に及んでいます。被災された方々は、東日本大震災のことを一生忘れることはないでしょう。震災の影響を直接受けなかった人も、3月11日にあったこと、それ以降の日本の歩みを注視し続けることが必要です。一人ひとりの経験を次代に伝えることが、東日本大震災を経験した私たちの責務であるからです。
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