【日本を代表する2大文学賞の基礎知識】
半年に一度テレビや新聞を賑わせる「芥川賞」と「直木賞」。今年1月には第168回の受賞作が発表され、芥川賞には井戸川射子さんの『この世の喜びよ』と佐藤厚志さんの『荒地の家族』、直木賞には小川哲さんの『地図と拳』と千早茜さんの『しろがねの葉』が選ばれました。7月には第169回の受賞者の発表が行われます。日本で最も有名なこれらの賞がどんな賞なのか、そして最新の受賞作についてもまとめました。
【作家の菊池寛が創設】
芥川賞は正式名称を「芥川龍之介賞」、直木賞は「直木三十五賞」といいます。大正から昭和初期に小説家、劇作家として活躍した菊池寛によって創設されました。新聞小説『真珠夫人』で人気作家となった菊池は、「頼まれて物を云(い)うことに飽いた」として、友人らと雑誌『文藝春秋』を創刊します。創刊号には芥川龍之介や川端康成らが名を連ね、3000部がわずか3日で売り切れたそうです。
初期の文藝春秋を支えた存在が、当時の流行作家で菊池の友人でもあった芥川龍之介と直木三十五でした。創刊10周年の執筆回数番付では、それぞれ東の横綱、西の横綱として名前が挙げられています。
ところが、芥川は昭和2年、直木は昭和9年に若くして相次いでこの世を去ります。その死を惜しんだ菊池は、昭和10年1月号の文藝春秋で二人の名を冠した芥川賞、直木賞の制定を宣言しました。1938年以降は、文藝春秋社内に設立された日本文学振興会が賞の運営を行っています。
昭和初期に文学の世界に新しい風を送り込んだ両賞も現在では88年もの歴史をもち、しばしば商業的という批判を受けながらも、数々の著名作家を輩出してきた権威ある文学賞として世の中に広く浸透しています。
【対象が違う2つの賞】
2つの賞の違いを見ていきましょう。芥川賞はデビュー間もない新人作家を対象にした賞で、文芸雑誌に掲載された純文学の短・中編作品のなかから受賞作品が選出され、受賞作は『文藝春秋』に掲載されます。純文学とは、作家独自の感性や芸術性を重視する小説のことです。新人作家にとっては人気作家への登竜門であり、出版業界にとっては注目度の高い新人作家を売り出す格好の機会といえるでしょう。賞の性質上、若年での受賞や学生の受賞に注目が集まることが多いのも特徴です。これまでの最年少受賞者は『蹴りたい背中』の綿矢りささんで、受賞当時の年齢は19歳。最年長受賞者は、『abさんご』の黒田夏子さんで、当時75歳でした。
直木賞は新人・中堅作家の大衆文学(エンターテインメント小説)の長編・短編集に贈られる賞で、単行本として刊行された作品が対象となり、受賞作は『オール讀物』に掲載されます。確かな実力を身につけ、「売れる作家」であることを示す賞といえるでしょう。ミステリーや時代小説などのいわゆるジャンル小説が多数選出される一方で、SF、ファンタジーといった分野の作家が選出されることは稀で、比較的新しいジャンルであるライトノベルに関しては今のところほぼ注目されていない状況です。
両賞とも候補作に選ばれるだけでも大きな話題となり、賞が発表される時期になると街の書店に候補作がズラリと並ぶ様子が見られます。
【プロの作家が受賞作を選ぶ】
両賞は公募制ではないため、対象期間中に刊行された雑誌の掲載作や単行本の中から予備選考委員会によって候補作が選ばれます。予備選考委員会は文藝春秋の編集者が中心となって数回にわたって行われ、最終候補作を選出します。この時点で候補者に賞を受ける意思があるかの確認を行い、最終候補作を発表します。そして毎年1月と7月に行われる選考会では、現役で活躍する作家が選考委員となって受賞作を決定します。
芥川賞の現在の選考委員は小川洋子・奥泉光・川上弘美・島田雅彦・平野啓一郎・堀江敏幸・松浦寿輝・山田詠美・吉田修一、直木賞は浅田次郎・伊集院静・角田光代・北方謙三・桐野夏生・髙村薫・林真理子・三浦しをん・宮部みゆき(敬称略)と、そうそうたる顔ぶれが並んでいます。
両賞の授賞式は選考会の翌月にあたる2月と8月に行われ、受賞者には懐中時計と賞金100万円が贈られます。
【賞レースとしての見どころ】
とくに新人賞である芥川賞については、賞に選ばれやすい条件、いわゆる「傾向と対策」が存在するとも言われています。まず、雑誌の中でも五大文芸誌、「文學界」、「新潮」、「群像」、「すばる」、「文藝」のいずれかに掲載されること、長さは概ね原稿用紙100枚から200枚程度のものが受賞に至りやすいようです。作家の側は審査後に発表される選評を分析することで審査員の傾向を把握して次回に活かしたり、逆にそういった対策抜きで挑んだりと、それぞれのスタイルで賞を取りにいく静かな戦いが見どころです。
こういった賞レース的側面は、自由な文芸を愛する読者からは邪道に見えるかもしれません。しかし、ある程度の条件があるからこそ作家が目標を持って技術を研鑽することができたり、ファンとしては受賞作予想も楽しむことができたりと、文芸という世界の盛り上がりにつながっていることも事実でしょう。
【最新の受賞作は?】
今年1月に発表された第168回芥川賞・直木賞でどんな作品が選ばれたのか、あらすじと授賞式での選考委員の総評を見てみましょう。描かれる時代や場所は違っても、どれもまさに今、私たちと同じ時代を生きる最先端の作家による瑞々しい作品です。
まずは芥川賞の2作品です。井戸川射子さんの『この世の喜びよ』は、ショッピングセンターの喪服売り場で働く女性とフードコートの少女の交流を描いた作品。主人公の視点が「あなた」という二人称で語られ、詩人でもある井戸川さんの繊細な言語感覚が光ります。仙台在住の書店員である佐藤厚志さんの『荒地の家族』に登場するのは、福島に暮らす主人公とその周囲の人々。震災後の10年という月日の中で、決して元には戻らない傷を背負いながら生きる人々を描きます。選考委員の堀江敏幸氏は、「受賞した2作品は対照的だった」とし、それぞれの作品を「平凡な舞台でありながらその題材を輝かせる言葉の一つ一つがとても丁寧に描かれている作品」、「震災にまっすぐ向き合い地に足のついた作品」、と評しました。
続いて直木賞の2作品。小川哲さんの『地図と拳』は、日露戦争から第二次世界大戦の終戦に至る時代の満州を生きた人々の人生が交錯する群像劇。SF作家として知られる小川さんならではの壮大な作品で、第13回山田風太郎賞も受賞しています。千早茜さんの『しろがねの葉』は、戦国時代の石見銀山で生きる人々の姿を少女ウメの成長を通して描く物語。世界の残酷さと、そこに生きる人間のたくましさが感動を呼びます。選考委員の宮部みゆき氏は、それぞれの作品を「オーソドックスな歴史小説のようで、冒険小説やさまざまな要素を盛り込んだ驚きの作品」、「候補作の中で最も短いが、それは余分を削ぎ落としたため。千早さんにしか書けない空気感が見事に表現されていて、匂い立つような文章」と評しました。