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ゲノム解析から判明した現代日本人の起源

【縄文人と弥生人の混血で生まれた日本人】
現代日本人の起源はどこにあるのでしょうか? 近年のヒトゲノム研究の発展により、現代日本人は、縄文人と弥生人の交雑から誕生したことがわかってきました。ヒトゲノム解析の発展から、現代日本人の起源と、今後の日本人のあり方について考えてみました。

【ヒトゲノムとは】
「ゲノム(genome)」とは〝gene(遺伝子)〞と集合をあらわす〝-ome〞を組み合わせた言葉で、生物のもつ遺伝子の全体を指す言葉です。ゲノムの実体は生物の細胞内にあるDNA(デオキシリボ核酸)で、ヒトゲノムとは、ヒトの細胞内の核にある24種類の染色体に含まれるDNAを意味しており、ヒトの生命の「設計図」にほかなりません。
DNAには、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類の塩基があり、ゲノム上にはおよそ30億対のDNAの塩基が連なっており、この塩基配列がヒトの「設計図」となっています。その塩基配列は、ヒトであればすべて同じではなく、個々のヒトゲノムの塩基配列を比較すると、0.1%程度の違いがあることがわかっています。この塩基配列の違いが、顔や体型、性格の違いなどを生み出しています。また、塩基配列の違いにより、かかりやすい病気なども変わってきます。

【ヒトゲノム解析計画】
1990年頃から、世界各地の研究者が分担して、ヒトゲノムの全塩基配列を解読する取り組みがはじまりました。2000年6月にヒトゲノムの全塩基配列のほとんどが解明されたのですが、それでも解明できない部分がわずかに残されていました。そこで、日本では、2018年からヤポネシア(日本列島)のヒトゲノム解析の研究があらためて取り組まれることになり、2023年3月にヤポネシアのヒトゲノムの解析が完了しました。
また、科学技術の進歩により、現代人のヒトゲノムだけではなく、発掘された人骨などから、数万年以上前のヒトゲノムを解析する技術も飛躍的に発展しました。その結果、私たちホモ・サピエンスは、旧人と言われてきたネアンデルタール人や、ヒトゲノム解析により存在がはじめて知られることになったデニソワ人などの別種の人類とも共存・交雑して勢力を拡大し、他の人類を駆逐して世界にひろがったことがわかってきました。そのため、私たちのヒトゲノムには、ネアンデルタール人に由来する遺伝子が今でもわずかに含まれているのです。

【現代日本人の「二重構造」】
ヤポネシアのヒトゲノム解析の結果、現代日本人の起源は、人類学者の埴原和郎(1927‒2004)が提唱した「二重構造モデル」を裏付けることになりました。この「二重構造モデル」とは、約4万年前に大陸から日本列島に渡ってきた人びとが縄文人を形成して、狩猟や採集によって暮らしを成り立たせていたなか、紀元前10世紀~3世紀に新たに大陸から渡ってきた弥生人が、九州北部に大陸の稲作を伝え( 弥生時代のはじまり)、弥生人が日本列島の各地にひろがる過程で各地の縄文人と交雑を繰り返していき、現代日本人が誕生したという説です。
ただし、ヤポネシアのヒトゲノム解析により、現代日本人の成立には、3世紀~7世紀にかけての古墳時代に大陸から日本列島に渡ってきた渡来系弥生人の影響も大きかったと新たに考えられるようになりました。現代日本人に占める縄文人系の割合は12~13%程度にとどまっており、この比率の低さは、弥生時代に渡来した弥生人との交雑だけでは説明できないからです。

オレンジ色の弥生人が朝鮮半島から九州北部に渡来し、日本列島にひろがるなかで、縄文人との交雑が進んでいった過程です。

【現代日本人の地域的多様性――「縄文人由来変異」への着目】
長い間大陸と隔絶されて暮らしていた縄文人と弥生人の交雑によって生まれた現代日本人のゲノムには、縄文人の系統で特異的に生じた遺伝的変異である「縄文人由来変異」を含むゲノム領域と、弥生人に由来するゲノム領域が含まれています。現代の大陸系東アジア人には、この「縄文人由来変異」は見られません。そのため、現代日本人の「縄文人由来変異」の保有率を調査することで、北海道を除く全国各地における縄文人系の割合の高低を分析した新たな研究が発表されました。なぜ北海道が除外されているかというと、北海道はもともと日本の先住民族であるアイヌ民族が暮らす地でしたが、明治維新以降に本州・四国・九州などから現代日本人の移住が進んだため正確な割合の測定を行うことができないためです。
「縄文人由来変異」に着目した新たな研究では、本州・四国・九州に暮らす10000人の現代日本人がもつゲノムデータから「縄文人由来変異」を有する率を導きだし、その地域的分布を明らかにしました。わかりやすく言い換えるなら、日本列島のなかで縄文人度合いが高い地域と低い地域を数値化したのです。その結果、東北地方や関東地方の一部、島根県、鹿児島県などでは縄文人度合いが特に高く、逆に近畿や四国の各県では特に低いことがわかりました。
なぜ近畿や四国では縄文人度合いが低くなっているのかというと、弥生人が日本列島に移住してきた縄文時代晩期から弥生時代にかけての人口増加率が高かったからです。言い換えると、近畿・四国ではいち早く弥生人とともに稲作が到来したことで、急速に人口が増加していったと考えられます。

【縄文人と弥生人の違い】
狩猟採集によって命をつないでいた縄文人は、血糖値や中性脂肪を増大させることで、炭水化物に依存しない体質に適応していました。一方、集団生活を行わねば営むことのできない稲作を持ちこんだ弥生人は、CRP(体内で炎症を起こすと増加するタンパク質のこと)や、好酸球(ヒトの体を守る細胞の一種で、アレルギー反応を起こす細胞でもある)の数を増やすことで、集団生活に伴って生じる感染症のリスクに適応してきました。
縄文人は背が低く、弥生人は比較的高身長であるといわれています。顔の造作も、縄文人は彫りが深い一方、弥生人はあっさりした顔であったようです、現代日本人のほとんどが縄文人と弥生人の交雑によって生じたことを考えると、今後世界各国にルーツをもつ人びとと現代日本人の混血が進んでいくなかで、今後の日本人の姿形はどのように変化していくのかも気になるところです。

【ネアンデルタール人とデニソワ人】
ネアンデルタール人はヨーロッパでひろがり、デニソワ人はアジアでひろがったと言われています。ここに私たちホモ・サピエンスが加わって、異なる人類が共存していた数万年におよぶ時代がありました。世界ではじめてネアンデルタール人のゲノム解析に成功し、ネアンデルタール人と現生人類が交雑していたことを発見するとともに、のちにはデニソワ人を発見したドイツ人のスバンテ・ペーポ博士によると、シベリア南部の山中にある洞窟は、ネアンデルタール人・デニソワ人・現生人類のすべてが暮らしていた唯一の場所とされています。
2008年にこの洞窟から発見された小さな骨片のゲノム解析を行ったペーポ博士らの研究チームは、この骨片はネアンデルタール人を母に、デニソワ人を父に持つ幼い少女だということを解明しました。この骨片が見つかったデニソワ洞窟の名をとって、この未知の人類はデニソワ人と名付けられました。このような一連の研究が「絶滅した人間のゲノムと人間の進化に関する発見」であると評価されたペーポ博士は、2022年のノーベル医学生理学賞を受賞しています。
なぜ、ネアンデルタール人やデニソワ人は絶滅してしまったのでしょうか。発見されたばかりといってよいデニソワ人については不明な点が多いのですが、ネアンデルタール人の絶滅は、ホモ・サピエンスとの生存競争に負けたという説と、ネアンデルタール人が絶滅したとされる約4万年前、ヨーロッパで急速な気候の寒冷化が起き、これに適応できなかったことで絶滅したという説があります。