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中絶禁止とアメリカ社会

【宗教と政治の深い関係がもたらした社会の分断】
2022年6月24日、アメリカ連邦最高裁判所は、「人工妊娠中絶は憲法上の権利ではない」との判断を下しました。1973年に認められた女性の中絶権は、半世紀を経て失われることになったのですが、このような変化の背景には、キリスト教徒が8割以上を占めるアメリカ社会での宗教と政治の問題がありました。

【男性により禁止された中絶―19世紀アメリカ】
アメリカで妊娠中絶が犯罪とされるようになったのは、19世紀半ばからのことです。1830年代、当時専門職としての認知度が低かった男性医師たちが、自らの社会的地位の向上と競合相手である民間療法師の排除を目指して、民間療法師が行っている妊娠中絶に反対する一大キャンペーンをはじめました。当時のアメリカでは、医師も民間療法師も、法的な規制なしに自由な診療を行うことができたからです(女性は医師にはなれませんでした)。男性医師は、中絶が「子供の数を制限する不健全で不道徳で不適切な方法である」として妊娠中絶の違法化を働きかけ、19世紀末までにアメリカ全州で妊娠中絶は犯罪化されることになりました。
このような男性医師の働きかけが当時のアメリカ社会で支持されていった背景には、女性の権利拡大を求める運動に対する反感がありました。1848年、ニューヨーク州セネカ・フォールズで開かれた会議で、女性の参政権や財産権、雇用や教育機会の男女平等などが主張されたことは、自立を求める女性のはじめての動きでした。当時のアメリカでは、女性は男性に従う存在とされていたため、女性に妊娠中絶の権利を認めることは、女性の男性からの自立につながっていくと考えられたのです。
当時のアメリカは、WASP(White Anglo-Saxon Protestant)と呼ばれるイギリス系白人プロテスタントの移住者を中心とする国家から、領土の拡大により、アメリカ先住民族やメキシコ系移住者、アイルランド系移住者を含む多民族国家へと変化を遂げていました。南北戦争(1861-1865年)中の1862年に、リンカーン大統領が発した「奴隷解放宣言」により黒人奴隷が解放されたことで、WASPの人口比率が減少してその支配的立場が危うくなることを恐れたWASP男性は、WASPの人口を増やすためにWASP女性の妊娠中絶を認めようとはしませんでした。
また、1850年代からは、科学の進歩により、それまで胎動を感じた時期からとされてきた胎児の生命が、卵子と精子が受精した瞬間にはじまるとされ、妊娠中絶は殺人にほかならないと、医師たちは倫理的・道徳的立場からも妊娠中絶を否定することにもなりました。
19世紀終わりまでに妊娠中絶は犯罪となりましたが、妊娠により母体の生命が危ない場合には、正規の産婦人科医の判断で中絶を行うことは可能でした。しかし、それは比較的裕福な白人女性に限られました。第2次世界大戦がはじまると、正規の妊娠中絶施設に対しても警察の捜査が厳しくなりました。男性が兵士として戦場に向かい、それまで男性の職場であったところに女性が進出してきたことで、ふたたび女性が自立していくことを危険視したためです。

【女性の「自己決定権」としての中絶の権利】
1960年前後からは、レイプ被害者の妊娠中絶は、例外として認めるべきであると考える法律家が、法改正の運動に乗り出しました。一方で、古くからレイプによる妊娠中絶の権利も否定してきたカトリック教徒の人びとは、法改正に反対するプロライフ(Pro-Life=生命権)派を組織して、この動きに反発しました。
さらに、1960年代のアメリカでは、黒人(アフリカ系アメリカ人)の公民権獲得を求める運動が激しさを増し、さらに1965年にベトナム戦争にアメリカが本格的な介入をはじめると、ベトナム反戦運動や学生運動など、これまでの社会的規範に正面から異議を唱えるさまざまな運動がはじまりました。なかでも、男性に従う「妻」「母」という役割を押し付けられてきたと考える女性らは、男性からの自立と解放を主張するフェミニズム運動に引き寄せられました。フェミニズム運動は、女性の身体は女性自身のものであり、女性は自分の身体についての「自己決定権」を有するべきであると主張して、妊娠中絶の合法化を要求します。彼女らは女性の妊娠中絶の権利を擁護するプロチョイス(Pro-Choice=選択権)派を形成して、プロライフ運動に対抗していくことになりました。
これをきっかけに、いくつかの州では妊娠中絶が合法化されました(アメリカでは州政府が独自の立法を行うことができます)。1970年には、妊娠中絶を禁じるテキサス州で、妊娠中絶をおこなった女性と、女性に中絶手術を行って逮捕された医師などを原告として、妊娠中絶を禁止するテキサス州法は憲法違反であるとの訴えが起こされ、1973年1月、アメリカ連邦最高裁判所は、テキサス州法は、合衆国憲法修正第14条(1868年発効)にある「人びとの自由を奪うことの禁止」に違反しているとの判決を下しました(ロー対ウェイド判決)。女性が妊娠中絶を行うかどうかを決める権利は、プライベートな事柄の決定に対して国家の干渉を受けない自由としてのプライバシーの権利に含まれるとしたこの判決以降、各州で制定されていた中絶禁止法は無効となりました(合衆国憲法は州法に優先します)。また、胎児の権利についても法のもとで保護するべき存在ではないとしました。

女性解放を求めるデモ行進(1970年)

【宗教と政治】
このように女性の中絶権が保障されたことに危機感を抱いたのが、プロライフの人びとです。この時期から、「家族の価値」を主張して妊娠中絶を否定するプロテスタント最保守の「福音派」が加わって組織を急拡大したプロライフは、子宮内の胎児や中絶された胎児の写真を掲げたデモを行ったり、テロ組織によって妊娠中絶を行う産婦人科や医師を襲撃したりするなどして、過激な行動によって妊娠中絶を再び禁止させようとしました。
聖書の記述を重視するキリスト教原理主義的立場を堅持する福音派(エバンジェリカル)は、神が人類を創造したのであるとして進化論を認めない傾向があり、現在ではアメリカの人口の約25%を占める最大の宗教勢力になっています。福音派は、妊娠中絶だけではなく、同性婚やLGBTQなど性的少数者の権利拡大にも反発しています。フェミニズムの発展などのリベラルな社会改革に、聖書の教えを守る立場から危機感を抱いた福音派は、リベラルな社会の動きを押しとどめようと政治運動に積極的に乗り出します。アメリカでは建国以来、キリスト教徒以外の大統領は選出されていません。歴代の大統領就任式では、リンカーン大統領(1809-65年)が使っていた聖書に手を置いて就任宣誓を行っています。宗教への関心も、ヨーロッパ諸国に比べて圧倒的に高いアメリカで、キリスト教の規範は、生活のさまざまな側面に影響を及ぼしています。現在のアメリカでは、宗教的保守派(主としてカトリック)と原理主義的福音派が構成する宗教右派の意向が政治を大きく左右しており、とくに共和党では宗教右派の支持なしには大統領候補になることすらできないと言われています。
宗教右派は、当初は合衆国憲法の改正による妊娠中絶の禁止を目指しましたが、1970年代末からは、アメリカ連邦最高裁判所に保守派判事の任命を増やして修正第14条に対する解釈を変更させることで(合衆国最高裁判所の判事は、大統領により任命され、判事は亡くなるか、自ら辞任するまでその職にとどまります)、妊娠中絶を禁止させようとする方針へと転じました。これが、1980年の大統領選挙で共和党のレーガン大統領を誕生させる大きな原動力となったのです。レーガン大統領ら共和党は、妊娠中絶に反対する姿勢を強める政策をとりました。
2016年、宗教右派の支持によって誕生した共和党のトランプ大統領は、妊娠中絶に否定的立場をとり、最高裁判事の顔ぶれも、民主党のオバマ政権下でのリベラル派と保守派の拮抗から、新たに指名する判事はすべて妊娠中絶反対の保守派を選んで、保守派の判事を増やしました。2020年9月には、リベラル派で知られたギンズバーグ判事の死去に伴い、保守派のバレット判事を任命して、最高裁は、判事9名のうち6名を保守派が占める「超保守」の構成となりました。こうして、「ロー対ウェイド判決」が保守派の判事の賛成によって覆されることになり、宗教右派は、この政治的成功を足がかりとして、2015年にアメリカ連邦最高裁判所が認めた同性婚の権利を覆そうとしています。
ただし、世論調査によると、多数のアメリカ人は妊娠中絶を女性の「性と生殖に関する健康と権利」のひとつとして認めています。アメリカ連邦最高裁判所の判断を受けて、カンザス州では妊娠中絶の権利を認める州法の規定を削除するかを決める州民投票が行われ、反対多数で中絶の権利を今後も認めることになりました。11月8日に予定されているアメリカの中間選挙(上院・下院の議員の選出と州知事の選出)では、妊娠中絶が大きな争点となっており、その結果に世界の注目が集まっています。

2016年、大統領就任演説を行うトランプ前大統領。左手は2冊の聖書(上がリンカーンの聖書、下はトランプ前大統領が子供のときに使っていた聖書)に置かれている。

【日本の「母体保護法」】
日本では、母体保護法によって、妊娠22週未満(21週6日)までの妊娠中絶が許可されています。その条件は、身体的または経済的理由によって母体の健康を著しく害するおそれがある時、暴行などによって、または抵抗などができない形で妊娠した時、となっています。ただし、中絶手術を受ける際には本人と配偶者の同意が必要とされるため、同意を得られず妊娠中絶を行うことのできない場合もあります。中絶に配偶者の同意を必要とする国は世界の203の国・地域のうち、日本、台湾、インドネシア、トルコ、サウジアラビア、シリア、イエメン、クウェート、モロッコ、アラブ首長国連邦、赤道ギニア共和国の11カ国・地域のみです。
妊娠12週未満の中絶手術は、掻爬法か吸引法によって子宮の内容物を取り去る方法をとっています。12週以降22週未満の中絶手術は、人工的に陣痛を起こして流産させる方法をとるため、母体への負担も大きくなります。また、12週以降の中絶では、役所に死産届を提出して、流産した胎児の埋葬許可証をもらう必要があります。
妊娠22週未満とされているのは、この時までが「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」であるとされているためです。22週で生まれた子どもの平均身長は19センチ、平均体重は450グラムです。医療の発達により早産で生まれた子どもの救命率が上がったため、1953年には妊娠28週未満とされていた中絶可能時期は、1976年に24週未満、1990年に22週未満に短縮されました。しかし、この22週という線引きは、22週未満で生まれてきた子どもの救命を行わない基準にもされています。22〜23週で生まれた子どもの生存率は、約66%とされます。

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