2011年12月ロシアが 満20歳に!!【国際】

2011年12月ロシアが 満20歳に!!

 1991年12月25日、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)のゴルバチョフ大統領が辞任し、74年にわたって超大国として君臨していたソ連は消滅しました。第二次世界大戦後の東西冷戦時代、ソ連は東側陣営(社会主義陣営)の総本山として、アメリカを中心とした西側陣営(資本主義陣営)と厳しく対立するとともに、朝鮮戦争やベトナム戦争などの代理戦争も引き起こしました。
 しかし、ソ連が自ら崩壊する形で冷戦時代の終わりを告げたのです。そして、新しく誕生したのがロシア連邦で、昨年12月には満20歳を迎えました。世界に大きな影響力を及ぼしてきたソ連、そして満20歳を迎えたロシアのこれまでの歩みや、現在の姿を紹介していくことにしましょう。

2011年12月ロシアが 満20歳に!! - 1917年のロシア革命でソ連が誕生 -
 1917年に、レーニンが率いる共産党によるロシア革命で、かつてのロシア帝国が倒され、社会主義国としてソ連が誕生しました。多くの国々では大陸や島、民族などを象徴する国名が付けられていますが、ソビエトという表記はロシア語で「会議」や「評議会」を意味しています。これは、ロシア革命の成功に大きな役割を果たした労働者の代表による評議会方式の国家であることから、社会主義という概念を盛り込んだ国名となったのです。
 社会主義とは、一般に資本主義の原則である生産手段の私的所有を否定し、国によって生産手段を管理しようというものです。つまり、企業は資本家という個人の持ち物から国家のものになることです。このため、経済は計画経済となり、計画的に生産されることで作り過ぎや品不足の心配がなくなります。この結果、資本主義のように利益の独占という不公平や、不況や恐慌の恐れがなくなり、失業者も生じない社会をめざします。社会主義では、社会に利益を与えるために生産活動を行ない、生産性を向上することで国民の暮らしが豊かになるという理想を掲げていたのです。



- 「理想」と「現実」の狭間で -
 理想国家の実現を掲げたソ連は、必ず起こるであろう資本家たちの反撃に対し、労働者の代表である共産党がすべての権力を掌握し、資本主義の復活に備えます。
 このようなソ連の社会体制は、時間の経過とともに「理想」と「現実」の狭間でさまざまな矛盾を引き起こしていきます。国家による計画的な生産管理のため、いくら働いても個人の評価に繋がらないことや、上部からの指示で動くことで創造的な発想が阻害され、企業間の競争もなく新技術開発も遅れるなどの問題が出てきました。
 また、労働者の代表であるソ連共産党は常に正しいとされ、言論の自由も認められず、批判することも許されません。この共産党が政治、経済、司法など、国家のあらゆる組織を支配しているため、さまざまな問題点や矛盾点は放置され、社会は停滞していきました。一方、共産党員になれば社会を支配することができるため、出世主義者や金もうけ主義者などが共産党員となっていきました。支配者へのワイロが横行するようになったのはこのためです。
 その時々の指導者を振り返ってみましょう。
2011年12月ロシアが 満20歳に!! - ゴルバチョフ書記長が登場 -
 ロシア革命を成功させたレーニンが1924年に亡くなり、スターリンが後継者に選ばれました。
 強大な権力を握ったスターリンは、1928年から第1次5カ年計画に取り組み、急激な工業化や経済成長を推進しました。第二次世界大戦時には、ナチス・ドイツの侵攻を阻止したものの、独裁的政治手法で党内の反対派や反革命的と見なされたものは、粛清と称して逮捕や処刑を行なうなど、過酷な抑圧政治を行なってきました。
 スターリンの死後、1953年にフルシチョフが指導者に選出されます。フルシチョフはスターリン批判を行ない、ソ連の共産党員はもとより国内外に大きな衝撃を与えました。そして、国内の厳しい統制をゆるめ「雪解け政策」をおこないます。しかし、思ったような経済政策を進めることができず、失脚してしまいます。フルシチョフ時代の大きな出来事として、キューバ危機があげられます。アメリカのケネディ政権が、ソ連のキューバへのミサイル搬入を阻止するため、キューバの海上封鎖を行ない、米ソの激突寸前までいった事件です。
 次いで誕生したブレジネフ政権は18年にも及ぶ長期政権でしたが、国際関係は厳しくなる一方、国内状況も長期にわたって停滞していきます。1982年にブレジネフが死去し、アンドロポフ、チェルネンコが共産党書記長になりますが、いずれも短期で亡くなってしまいます。
 こうした中、1985年にソ連共産党の中で急速に頭角を現してきたゴルバチョフが、54歳という若さで指導者の座に就きました。

- ペレストロイカ(立て直し)を掲げて -
 ブレジネフ時代、経済の停滞が進み、このままではソ連は衰退してしまうのではと危惧されていました。書記長に就任したゴルバチョフは、直ちにペレストロイカ(立て直し)、グラスノスチ(情報公開)に取り組みます。
 経済的停滞を打破するため、ペレストロイカによって国営企業の中に小規模の民間企業を認め、労働者の勤労意欲をかきたてる。さらに、国民にソ連の現状を正しく認識してもらうため、情報を公開して問題点を明らかにしていきます。国民が自由に議論することで、共産党による硬直化した政治体制の変革をめざしました。
 国際的には、新思考外交を展開し、アメリカとの緊張関係の緩和に取り組みます。経済負担を軽減させるため、軍備拡大競争を中止するとともに、海外への軍事援助などを縮小していきます。そして、1989年にはアメリカのブッシュ大統領とマルタ島で会談し、「冷戦終結」を宣言しました。

- 急激な変革で国民の間で動揺が -
 ゴルバチョフは、ペレストロイカで経済を立て直し、グラスノスチによって国民の闊達な議論で国に活力が生まれ、硬直した共産党から開かれた共産党に変わることで国民の支持を得られると考えていました。
 ところが、ペレストロイカなどの改革を急いだことで、国民は腐敗した共産党支配の実態や、深刻な経済状態を知り不満やいら立ちを募らせます。経済面では、
一部で市場経済を認めたことで経営者や労働者の給料は上がった半面、統制経済のため商品の価格は低く抑えられています。当然、市民は買いだめに走り市場から商品がなくなるという事態に発展していきます。なかでも、国民が愛飲するウオッカがあっという間になくなり、ゴルバチョフへの不満を高めていきます。こうした経済の混乱は税収に直結し、深刻な税収難も引き起こしていきます。さらに、表現の自由などを背景に、各地で民族主義が噴出するなどさまざまな問題が起こってきました。
 理想と現実の間に大きな溝ができた時代でもあったのです。
2011年12月ロシアが 満20歳に!! - ソ連が崩壊した日 -
 ゴルバチョフの改革を進めると、ソ連共産党は失脚してしまうと考えた共産党の保守派の人々は、19
91年8月にクーデターを敢行します。しかし、エリツィンが登場して、首謀者を逮捕するなど、クーデターを封じ込みました。エリツィンは、当時ソ連を構成していた15の共和国の一つ、ロシア共和国の大統領で、共産党を厳しく批判することで多くの市民から支持を得ていました。クーデターを阻止し、ゴルバチョフを救出したエリツィンとゴルバチョフとの力関係は、この時大きく逆転していたのです。
 1991年12月にエリツィンは、スラブ民族で構成されるロシア、ウクライナ、ベラルーシの三カ国で「独立国家共同体」を作る計画を発表しましたが、ソ連を構成していた他の共和国も参加を表明し、バルト3国を除く12カ国で独立国家共同体を創設します。
 一方、ゴルバチョフ大統領は1991年12月25日に大統領を辞任し、ソビエト社会主義共和国連邦は瞬く間に消滅したのです。そしてロシア連邦が誕生し、大統領府となっているクレムリン宮殿に新しい国旗、三色旗が掲げられました。

- 経済の安定と国際的影響力の向上 -
 エリツィン大統領のもと、ロシアは資本主義の道をめざします。しかし、共産主義の統制経済を経験してきたロシアにとって、簡単に資本主義の自由競争を導入しようとしても混乱が起こるばかりです。エリツィンは、1999年に混乱の続くロシアを立て直すことが出来ないまま大統領を辞任、プーチン首相が大統領代行になりました。そして、2000年の大統領選挙で47歳という若さで第2代大統領に就任しました。
 プーチン大統領がめざしたのは、経済の安定による国内の正常化と国際地位の向上です。まず、ロシア経済を牛耳っていた新興財閥の解体に着手し、石油やガス会社などを国有化していきます。
 また、チェチェン独立派と新ロシア勢力との間で起こったチェチェン紛争では、一貫して新ロシア勢力を支持して軍事介入を行なうとともに、周辺の共和国への締め付けも行なっています。そして、現在も続くテロに対し、強い態度を取り続けています。こうした背景には、エネルギー価格の高騰によってロシア経済が豊かになり、影響力が増したためと見られています。

- 21世紀に入り豊富な資源を中心に急成長 -
 2008年にプーチンに近いメドヴェージェフが大統領に就任し、プーチンは首相としてメドヴェージェフを支えます。
 ロシアは、石油や天然ガスなどエネルギー資源が豊富で、2001年以降、国内生産の上昇や原油価格の高騰などで貿易黒字に支えられて安定成長を続けています。プーチンが大統領就任直後、ロシアの通貨ルーブルが暴落し、国際通貨基金(IMF)の支援を受けたこともあります。しかし、その後の経済成長率は2006年7・4%、2007年8・1%、2008年は5・6%を記録しています。
 ロシアは、レーニンのロシア革命以降、約100年が経過しました。スターリン時代になると、第2次世界大戦でファシズムのドイツを退け、戦後は東側陣営の核大国として冷戦時代を指揮してきました。この間、国民の暮らしは社会保障などで保護される反面、言論の自由は制限されていた時代でもありました。
 ゴルバチョフからエリツィン、そしてプーチンにつながるまで、政治路線の変更に伴う混乱が起こりました。しかし、プーチンは強権を用いて混乱に陥ったロシアを立て直します。メドヴェージェフ大統領のもと、満20歳を迎えたロシアの市場にはモノが溢れ、市民は消費生活を楽しんでいます。しかし、暮らしが豊かになる半面、貧富の差が拡大しています。さらに、行政面では旧態依然とした手続きの煩雑さ、役人の責任回避、汚職などがはびこっているのも事実のようです。
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