2025年大阪万博開催が決定【国際】

2025年大阪万博開催が決定


【世界にインパクトを与え続けた万博】
 19世紀半ばに産業革命によって工業力を飛躍的に伸ばしたイギリスが、自由貿易を推進し、自国を農村社会から産業社会へと脱皮させるために国際博覧会(万博)を開催しました。以降、第二次世界大戦によって一時中断したものの脈々と開催され続けています。大規模万博は、国際博覧会条約に基づき5年ごとに開催され、2015年のミラノ万博の後、20年にはドバイ万博が予定されています。大阪はドバイの次となる25年の万博開催地として立候補し、18年11月に博覧会国際事務局(BIE)総会で開催が承認されました。日本での大規模万博の開催は、愛・地球博(愛知万博)以来20年、大阪での開催は55年ぶりとなります。

2025年大阪万博開催が決定 - 万博誘致争いに日本が勝利 -
 2018年11月23日に、パリで開催された博覧会国際事務局(BIE)の総会で、2025年国際博覧会の開催地が大阪に決まりました。開催地として大阪(日本)、エカテリンブルク(ロシア)、バクー(アゼルバイジャン)、パリ(フランス)が立候補しましたが、18年2月にフランスが立候補を取り下げました。残った3ヵ国から開催地を決定するため、BIE加盟国のなかで分担金を支払っている国による投票が行われました。
 第1回投票では、どの国も決定条件となる3分の2を得ることができず、最下位だったアゼルバイジャンが脱落しました。第2回投票で日本が92票を獲得し、61票のロシアを上回り開催地として選ばれました。

- キャラクターが日本をPR -
 万博誘致は14年夏、松井一郎大阪府知事や当時大阪市長だった橋下徹氏が打ち出しました。その後、16年11月に大阪府が国に基本構想を提案して具体化し、17年4月24日に立候補を表明しました。同年11月に、ポケットモンスターとハローキティが「2025年国際博覧会誘致キャラクター特使」となり話題を呼びました。
 18年6月のBIE総会では、大阪誘致に向けてノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥教授がプレゼンテーションを行ったほか、安倍晋三首相のビデオメッセージにポケットモンスターのキャラクターが登場して会場を沸かせました。

- 大阪万博が日本経済を牽引 -
 25年大阪万博は、5月3日~11月3日までの185日間の開催を予定しています。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、長寿時代の豊かな人生の送り方や持続可能な社会システムなど、世界共通の課題を解決する未来像の共有をめざします。会場は大阪湾に浮かぶ人工島・夢洲(ゆめしま)です。拡張現実(AR)や複合現実(MR)といった先端技術を駆使した催しや、バイオマスエネルギーなど最新の環境技術の導入が検討されています。
 関西財界は、18年に成立した「カジノを含む統合型リゾート施設(IR)実施法」を受け、大阪万博開催時期に間に合うよう、24年を目処にIRを開業しようと誘致活動を行っています。大阪メトロ、京阪電鉄、JR西日本は、これまでアクセスが不便だった夢洲に駅の新設を検討しています。25年の大阪万博を機にもたらされる関西の活性化は、東京オリンピック後の日本の景気を牽引すると期待が寄せられています。
2025年大阪万博開催が決定 【イギリスで生まれ世界に広まった万博】

- 世界初の国際博覧会、ロンドン万博 -
 世界最初の国際博覧会(万博)は、1851年に開催されたロンドン万博です。この万博は、イギリスのヴィクトリア女王の夫であるアルバート公の強力なリーダーシップのもとに実現しました。当時のイギリスは、世界に先駆けて起こった産業革命によって圧倒的な工業力を持ち、世界中に植民地を有して「太陽の沈まない国」と呼ばれました。この工業力と植民地によって、世界から集めた材料で工業製品を作り、世界中に販売するという国際貿易のメカニズムを確立しつつありました。万博はこの状況下で、自国製品を海外にプロモーションし、海外の技術を吸収する画期的な産業振興策という側面がありました。さらに、中世の気分を残す大衆の意識を改革し、工業社会に必要な「労働者」「消費者」へと啓蒙していく役割を担っていたのです。
 ロンドン万博には、10万点もの製品が出品され、原材料、機械、織物製品など、6つのセクションに区分して展示がされました。会期は5月1日から10月15日までの141日間で、この間に603万人の来場者を集めました。結果、ロンドン万博は、国家予算を一切使わずに18万6千ポンドの利益を生み出すことに成功しました。
2025年大阪万博開催が決定 - フランスが19世紀の万博を牽引 -
 ロンドン万博の成功は世界に大きな衝撃を与えました。その後、欧米諸国は積極的に万博に取り組むようになり、万博が誕生してからの50年間で、主だったものだけでも165回もの万博が開催されました。
 19世紀の万博を牽引したのはフランスでした。ロンドン万博から4年後、フランスはクリミア戦争中にも関わらずパリ万博を決行しました。この万博でフランスは、ロンドン万博にはなかった美術展示という要素を万博に加えます。以降、フランスは11年ごとにパリで万博を開催することを決め、1900年までに5回の万博を開催しました。
 1867年に開催された2回目のパリ万博では、各国の文化や風土を伝えるパビリオンが立ち並び、日本も初めて出展しました。アジア、中東、アフリカなど、欧米諸国にとって未知の国のパビリオンは来場者の関心を呼び、以降、欧米諸国の植民地を中心に未開の文明を紹介する展示が増えていきます。89年の4回目のパリ万博ではエッフェル塔がつくられ、200万人もの人が塔からの空中展望を楽しみました。1900年に開催された5回目のパリ万博では、4800万人以上が来場し、パリ万博史上最大規模となりました。この万博は、19世紀の万博を代表する博覧会と評され、飛行機や自動車、動く歩道、レントゲンなど最新技術が展示され、22館ものパビリオンがセーヌ川沿いに並びました。

- 欧州だけでなくアメリカでも開催 -
 19世紀に開催された万博の大半はヨーロッパでの開催でしたが、アメリカも積極的に万博に取り組んでいました。ロンドン万博から2年後の1853年にニューヨーク万博を開催し、76年には建国100年を記念してフィラデルフィア万博を開きました。
 フィラデルフィア万博では、グラハム・ベルが電話を出展し、世界にアメリカの技術力を知らしめました。その後、93年にコロンブスのアメリカ発見400年を記念したシカゴ万博、1904年にルイジアナ買収を記念したセントルイス万博、15年にパナマ運河完成を記念したサンフランシスコ万博などが開催されました。アメリカの万博は、アメリカの工業力や経済力の増大と比例するように、回を追うごとに壮大になっていきました。

- BIEの創設により万博が整備 -
 1928年、フランス政府の提唱によって国際会議が開かれ、国際博覧会条約が締結されました。これによって実務機関となる博覧会国際事務局(BIE)が創設されました。フランスが主導したため、現在もBIEの本部はパリにあります。国際博覧会条約の締結によって、万博のあるべき姿、開催方法や開催頻度、主催国や参加国の権利と義務などが規定されました。
 国際博覧会条約締結後、最初に開催された万博は33年のシカゴ万博です。この万博で、万博史上はじめて正式にテーマが導入されました。このときのテーマは「進歩の1世紀」で、これまでの100年を振り返り、これからの100年を展望しようというものです。以降、万博ではテーマを掲げて開催されるようになり、現在まで続く万博の基本的な型が形成されました。
 その後、35年に「民族を通じての平和」をテーマにしたブリュッセル万博が、37年にピカソの「ゲルニカ」が公開されたパリ万博が、39年と40年にニューヨーク万博が開催されました。日本でも40年に万博が計画されましたが、日中戦争の拡大によって中止となりました。
 万博は、第二次世界大戦により一時的に途切れましたが、58年に戦後初の大規模万博としてブリュッセル万博が開催されます。以降、現在に至るまで定期的に開催され続けています。
2025年大阪万博開催が決定 【日本で開催された5回の万博】

- アジア初となった1970年大阪万博 -
 日本で初めて開催された万博は、アジア初の万博となる、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)です。70年大阪万博は、日本が高度経済成長を成し遂げ、先進国と肩を並べたことを世界に示す絶好の機会であり、失敗のできない国家プロジェクトでした。
 大阪万博は「人類の進歩と調和」をテーマとし、千里丘陵(約330ha)で開催されました。183日間におよぶ会期中に訪れた来場者は延べ約6422万人を数えました。当時の日本の人口が1億人をわずかに越える程度だったため、2人に1人以上が万博に訪れたことになります。この来場者数の記録は、2010年の上海万博に塗り替えられるまで40年間にわたって万博史上1位でした。
 岡本太郎の「太陽の塔」がそびえ立つ千里丘陵の会場には、118の魅力的なパビリオンが立ち並びました。なかでもアメリカ館に展示された「月の石」は、会場一の人気となり、常に長い行列を作りました。当時、まだ外国が遠い存在だった日本人にとって、大阪万博は各国の展示とともに外国を身近に感じるまたとない機会だったのです。大阪万博には77の国・4国際機関が参加し、会場では8500人もの外国人スタッフが働き、170万人もの外国人観光客が訪れました。大阪万博は来場者を大いに熱狂させ、日本史に残る一大イベントとして成功を収めました。
2025年大阪万博開催が決定 - 日本各地で開催された万博 -
 大阪万博の後、日本では4回の万博が開催されました。75年から76年にかけて行われた沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)、85年の国際科学技術博覧会(つくば科学万博)、90年に開催された国際花と緑の博覧会(花の万博)、2005年の日本国際博覧会(愛・地球博)です。沖縄海洋博、つくば科学万博、花の万博は、テーマを絞った特別博覧会という区分での開催でした。
 沖縄海洋博は、「海洋」を取り扱った世界で初めての万博となり、当時、日本への復帰が決まっていた琉球政府の強い要望によって沖縄で開催されました。つくば科学万博は、「人間・居住・環境と科学技術」をテーマとし、筑波研究学園都市で開かれました。科学技術を体感できる催しが多く、なかでもリニアモーターカーのデモ走行が話題を呼びました。花の万博は国際園芸博覧会を兼ねて開催され、世界最大の花となるラフレシアなど、めずらしい植物が人気を呼びました。 愛・地球博は、21世紀最初の大規模万博となり、「自然の叡智」をテーマに開催されました。この万博では、会場建設予定地に保護対象のオオタカの営巣地が含まれていたため、会場計画を大幅縮小して自然を守ったことでも話題になりました。
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