「北方領土問題」新たな局面を迎えるか?【国際】

「北方領土問題」新たな局面を迎えるか?


 【強硬な姿勢を崩さないプーチン大統領】
 日本は北方領土問題、竹島問題、尖閣諸島問題という3つの大きな領土問題を抱えています。北方領土問題については、戦後、日本とロシアの間で断続的に交渉が続けられてきました。こうした中、昨年9月にハバロフスクで開催された東方経済フォーラムで、ロシアのプーチン大統領が、「前提条件を付けずに平和条約を結ぼう」と提案したことで、新たな動きがあるのではと注目を集めました。しかし、今年1月の安倍晋三首相とプーチン大統領との25回目の首脳会談でも、領土問題に新たな進展が見られず膠着状態が続いています。北方領土問題の経緯や問題点について考えてみました。

「北方領土問題」新たな局面を迎えるか? 【北方領土問題の歴史的経緯】

- 正保御国絵図に記された北方領土 -
 日本の北方領土とは、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の4島で、その面積は合わせて約5千㎢で千葉県と同程度の広さです。
 日本はロシアより早く、北方4島や樺太、千島列島の存在を知っていました。江戸幕府は1644年に諸大名に命じて正保御国絵図を編纂し、その中に択捉島や国後島の地名が明記されています。
 一方、ロシアは18世紀初めにカムチャッカ半島を支配し、その後、千島列島を南下してきました。1792年には、ロシアの使節ラクスマンが根室に来訪し、日本との通商を求めました。当時の幕府は「鎖国の祖法」を理由に通商を拒否しました。そして、間宮林蔵や近藤重蔵らを国後島や択捉島、樺太に派遣して実地調査を行い、これらの地域の防備に努めるとともに、択捉島以南の島々には番所を置いていました。ロシア側も千島列島に遠征隊を送って調査しましたが、ウルップ島より南に調査が及んだことはありません。
「北方領土問題」新たな局面を迎えるか? - 数度にわたる国境策定条約の締結 -
 1855年2月7日、日本はロシアと日魯通好条約(下関条約)を結んで国家間の交流を開始し、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間に国境を確認しました。 樺太については、日本とロシアの間に国境を設けず、これまで通り両国民の混在地と決められました。日本政府は、日魯通好条約を根拠に「この時、北方領土は日本領になった」とし、2月7日を北方領土の日に制定しています。
「北方領土問題」新たな局面を迎えるか?  1875年には、榎本武揚を代表とする明治政府とロシアの間で「樺太千島交換条約」を締結しました。樺太は日魯通好条約で、日ロ双方の混在地となりましたが紛争が相次いで発生しました。明治政府はロシアとの紛争を避け、北海道の開発に全力を注ぐために樺太を放棄し、ロシアから千島列島を得ることで合意しました。樺太千島交換条約の第2条に、日本が譲り受ける島としてシュムシュ島からウルップ島までの18の島々の名が列挙されています。こうした事実から、北方四島は日本固有の領土であり、千島列島とは明確に区分されていました。
 1904年、朝鮮半島および中国東北部の支配権をめぐって日露戦争が勃発しました。この戦争に勝利した日本は、05年にアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領を調停役に、ポーツマス条約を締結しました。この条約によって、日本は樺太の北緯50度以南を領土に加えました。
「北方領土問題」新たな局面を迎えるか? 【第二次世界大戦の敗戦で領土問題が勃発】

- ソ連が日本に一方的に宣戦布告 -
 第二次世界大戦の開戦前、日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結び、ソ連とは日ソ中立条約を締結して互いに中立を保ちました。しかし、ソ連は広島に原爆が投下された2日後の1945年8月8日、日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告しました。日本がポツダム宣言を受諾した8月15日以降もソ連軍は侵攻し続け、9月2日の降伏文書に署名後も攻撃を止めずに北方四島を占領しました。
 ソ連が攻撃し続けた背景には、45年2月にクリミア半島のヤルタで行われたアメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン首相の三者によるヤルタ会談があげられます。ヤルタ会談では、第二次世界大戦の戦後処理などが話し合われ、10を超える各種協定(秘密協定を含む)が結ばれました。協定の中には、ソ連の対日参戦や樺太南部や千島列島のソ連への帰属が明記されています。
 ソ連はヤルタ協定を根拠に、第二次世界大戦の結果、合法的に北方領土をソ連に編入したと主張しています。一方、日本はヤルタ協定に参加しておらず、三首脳の間で戦後の処理方針を話し合ったに過ぎないとの立場をとってきました。さらに、ソ連が日ソ中立条約を無視して参戦し、降伏後も侵攻し続けて北方領土を占拠したことは、何ら法的根拠がないと主張しています。

- サンフランシスコ講和条約締結 -
 1951年9月、日本はサンフランシスコ講和条約に署名し、南樺太や千島列島の領有権を放棄しました。しかし、問題となるのは千島列島がどこまでを指し、最終的にどこに帰属するか定められていないことです。
 講和条約調印に先立つ講和会議で、日本の全権だった吉田茂首相は、歯舞群島と色丹島は北海道の一部で千島列島に属しないと述べ、択捉島や国後島については昔から日本の領土だったと述べるにとどまりました。当時の外務省は、択捉島と国後島は放棄した千島列島に含まれるとの見解を示しました。日本政府は、千島列島がどの地域を指すのかについての見解が定まっていなかったのです。
 こうした中、1955年に誕生した自由民主党は四島返還を強く主張しました。アメリカも、日ソ接近を警戒して歯舞群島と色丹島の二島返還で合意すれば、施政権を持っていた沖縄を返還しないと圧力をかけていました。日本政府はこうした内外の動きを受け、千島列島に択捉島と国後島は含まれないとし、今日まで国の方針として北方四島の一括返還を主張し続けています。

- 1956年10月に日ソ共同宣言 -
 ソ連は講和会議に参加したものの、中国が会議に招かれなかったことや、アメリカ軍が日本に駐留し続けることなどを理由に講和条約の調印を拒否しました。このため、日本はソ連と個別に戦争状態を完全に終結させる平和条約の締結を目指して交渉を始めました。
 1956年10月、鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで「日ソ共同宣言」に署名して国交が回復しました。平和条約ではなく共同宣言になったのは、領土問題について日本は四島返還を、ソ連は二島返還を主張して譲らなかったためです。共同宣言の中で領土問題について「平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」と明記されました。
 日ソ共同宣言の調印で、両国関係は経済、貿易、文化など幅広い分野で順調に発展を遂げました。しかし、1960年に日米安全保障条約が改訂されると、ソ連は日本領土から全外国軍隊の撤去を求めました。日本政府は、日ソ共同宣言時にすでに旧日米安保条約が存在していたため、ソ連の指摘は当たらないと反発しました。これに対してソ連は、「領土問題は解決済み」との声明を出し、北方領土に関する姿勢を硬化させていきました。

- ゴルバチョフ大統領の登場とソ連崩壊 -
 1985年、ぺレストロイカ(改革)などを政策に掲げたゴルバチョフが書記長に就任しました。91年4月に来日したゴルバチョフ大統領は、共同声明で「北方四島が平和条約において解決されるべき領土問題の対象である」と初めて四島の名前を具体的に書き、領土問題の存在を認めました。
 1991年12月、ソ連が崩壊し、後継国家のロシア連邦にエリツィン大統領が就任しました。93年に来日したエリツィン大統領は、北方四島の帰属を歴史的・法的事実に基づいて解決し、平和条約締結交渉を継続するという「東京宣言」に署名しました。さらに、97年のクラスノヤルスクでの日ロ首脳会議で、「2000年までに平和条約を締結するように努力する」ことで合意しました。
 98年の静岡県の川奈会談では、日本側からウルップ島と択捉島の間に国境線を引き、当面は四島のロシア施政を認めるという「川奈提案」を提案しました。エリツィン大統領は興味を示したものの、検討する時間が必要だと即答を避けました。
 しかし、99年11月に橋本首相の参議院選挙敗北による退陣、エリツィン大統領もロシアの経済危機や自身の体調不調で99年に辞任したことで、ソ連崩壊を契機に起こった領土問題解決の機運は薄れていきました。

- 領土問題以外で交流を深める日本とロシア -
 エリツィン大統領の辞任を受け、プーチン政権が誕生しました。 2009年9月に訪日したプーチン大統領は、日ソ共同宣言は有効と話しましたが、川奈提案については我々の考え方と一致しないと拒否しました。01年3月、森喜朗首相とプーチン大統領との首脳会談でイルクーツク声明を発表しました。声明には「日ソ共同宣言を平和条約交渉の出発点を設定した法的文書と確認し、東京宣言に基づいて北方四島の問題を解決することにより、平和条約を締結する」と明記されました。
 しかし、2010年にロシア軍の択捉島での軍事演習が明らかになり、11月にはメドベージェフ大統領が公式に国後島を訪問したことで日ロ関係は再び冷え込んでしまいました。12年にプーチン首相が大統領に返り咲き、日本でも安倍首相が復帰したことを機に両国は関係改善に向けて動きだしました。 16年には北方領土での漁業、観光、医療などの分野で共同経済活動の仕組みを作ることや、元住民のビザなし交流を拡大することで合意しました。このように、日ロ双方の立場を損なわない問題について具体化が進められました。

- 難問を突き付けるプーチン大統領 -
 しかし、領土問題について日本は「四島返還」を主張するのに対し、ロシアは日ソ共同宣言で平和条約締結後に引き渡すのは歯舞・色丹の二島で、それ以上の領土問題は存在しないとの立場を崩しません。また、主権まで引き渡すと書いていないと話すようになりました。さらに、日本に北方領土は第二次世界大戦の結果、合法的にロシア領になったと認めるように迫り、日本が「北方領土」と呼ぶことにも異を唱えています。軍事面では、北方領土にアメリカ軍が進駐する可能性を強く懸念しています。
 数多く行われた日ロ首脳会談では、基本的には56年の日ソ共同宣言をベースに平和条約交渉を加速させると表明していますが、北方四島に対する歴史的認識の差が埋まりません。戦前、北方四島には1万7千人もの日本人が住み、現在は約1万8千人のロシア人が生活し軍隊も駐留してロシア化が進んでいます。戦後70年が過ぎ、交渉が長期化すれば状況が固定化されて解決が一層困難になります。
 しかし、日ロ両国は簡単に歩み寄れない事情を抱えています。日本政府は、一貫して四島一括返還を掲げており、簡単に国の方針を変換できません。ロシアも14年のクリミア併合以来、経済制裁を受けて国内は厳しい経済状態にあり、領土問題に前向きに対応できる状態ではなさそうです。
 日本としては、経済協力や北方領土での共同経済活動を一層促進させ、安全保障面でもロシアの懸念を払拭させて粘り強く交渉していく必要がありそうです。今年6月に大阪でG20が開催され、日ロ首脳会議が予定されています。会談の行方を注意深く見守りたいと思います。
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