選挙権年齢を18歳以上に引き下げ【政治】

選挙権年齢を18歳以上に引き下げ


1945年以来70年ぶりの選挙権年齢の拡大
来年の参院選で新たに約240万人が投票

 選挙権年齢を18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が6月17日に成立しました。来年夏に予定されている参議院選挙から実施され、18歳、19歳の約240万人が新たに一票を投じることになります。
 民主主義の根幹を支えるのが選挙です。この選挙権が高校三年生にも拡大されることになり、「政治に参加できる」と歓迎する声がある一方、「政治に関心がない」、「よく分からない」といった人も少なくないようです。このため、今回の選挙権年齢拡大の背景、政治的・社会的影響、日本の選挙権拡大の歴史などを紹介することにしました。

選挙権年齢を18歳以上に引き下げ - 国民投票法の改正がきっかけに -
 昨年、憲法改正の是非を問う国民投票法が改正され、国民投票への参加年齢が20歳から18歳以上に引き下げられました(詳細はHST vol.48を参照)。また同時に選挙権年齢の引き下げについても、速やかに法制上の措置を講じるとしました。
 今回の公職選挙法の改正は、昨年の国民投票法の改正時に先送りされた選挙権年齢の引き下げを実現したものです。改正公職選挙法は1年間の周知期間の後に施行されるため、来年夏に予定されている参議院選挙から適用されます。改正公職選挙法は、衆議院選挙や地方自治体の首長選挙や議会選挙、最高裁判所裁判官の国民審査などにも適用されます。つまり、現在20歳以上の人と全く同じ権利を持つことになります。

- 新たに約240万人が有権者に -
 公職選挙法の改正で、全有権者の約2%にあたる18歳~19歳の若い有権者が約240万人増えることになります。「所詮、私の一票が」と考える人がいるかも知れませんが、小選挙区選挙では数百票の差で当落が決まることが珍しくありません。
 現在の少子高齢化社会では、医療、介護など高齢者向けの社会保障政策が重視され、若者向けの政策が軽視されがちだとの指摘があります。今回の公職選挙法の改正はこうした社会の変化を受けて行われ、若者に選挙を通して政治への参加を強く求めています。しかし、昨年12月の衆議院選挙の年代別の投票率をみると、70~74歳の投票率が一番高くて72.16%であるのに対し、一番若い20~24歳の投票率は29.72%と各年代で最低となっています。
 政治家は国民の声を政治に反映するのが一番大きな仕事です。この結果、投票率が高い高齢者に痛みを伴う政策には及び腰になり、これから社会を支える若者にしわ寄せが及ぶのは仕方ないのかも知れません。
 しかし、政治では、すべての国民を視野に入れた政策が求められます。このためには若者が選挙を通して政治に積極的に参加することが必要です。
選挙権年齢を18歳以上に引き下げ - 被選挙権年齢は変わらず -
 今回の改正公職選挙法で、選挙権年齢が引き下げられるとともに18歳以上の人の選挙運動も認められました。しかし、買収など連座制の対象となる重大な選挙違反をした場合、成人と同様に刑事裁判の対象になります。つまり、18歳から政治に参加できる一方、責任も問われるようになったのです。しかし、国会議員の立候補資格は衆議院で25歳、参議院で30歳となっており、都道府県知事は30歳とこれまで通りです。
 若者に政治への参加を求めるには、選挙権年齢の引き下げとともに、被選挙権の引き下げを求める声も聞かれます。同世代の仲間が立候補して、若い世代の求める政策を掲げることで政治的関心が高まると考えられるからです。
 ヨーロッパを中心に、被選挙権の引き下げが相次ぎ、すでに50か国を超える国では18歳以上に被選挙権を与えています。こうした国々では若い政治家と高校生などが活発に議論を行うことで政治への関心が高まっているようです。その前提となるのが政治教育ですが、日本では教育の場に政治は馴染まないなどの理由で軽視されてきました。

- 選挙権年齢と成人年齢 -
 選挙権年齢の世界のすう勢は18歳以上になっています。国立国会図書館の調査では、18歳以上に選挙権を認めているのは189か国・地域のうち、170か国・地域となり、割合にして89.9%にも達しています。昨年のスコットランド独立住民投票では、16歳以上の住民に選挙権が付与されました。オーストリアでは16歳で選挙権、18歳で被選挙権が付与されています。現在、イギリスでは投票年齢を18歳から16歳へ引き下げることを検討しています。近い将来、選挙権年齢の引き下げは一層進むのではないかと見られています。
 選挙権年齢は18歳以上が世界の大半を占めますが、その理由としてアメリカやドイツ、フランス、ニュージーランドなどでは兵役の義務と連動して選挙権年齢が18歳以上に引き下げられました。また、発展途上国や革命を経験した国などでは、時の政府が民主的な政治体制を強調するために引き下げた例も見られます。ソビエト(現ロシア)など旧共産圏諸国では、政治教育的な面から18歳選挙権を欧米よりも早く実施しています。
 成人年齢の引き下げは、国によって社会的変化や政治的要因が関係するために異なっています。
しかし、現在では選挙権年齢と成人年齢は密接に関連することから、ともに18歳とする国・地域が多くなっています。

- 日本でも成人年齢引き下げ議論 -
 成人年齢の引き下げについても、国民投票法や公職選挙法の改正に合わせて活発に議論されてきました。しかし、今国会では付則として民法上の成人年齢や少年法の適用年齢については検討を重ね、必要な法制上の措置を講ずるとして先送りされました。
 成人年齢を世界標準となっている18歳に引き下げると、若者の政治参加や社会参加を促すなど、自らの行動に責任を持つ若者の育成に繋がると期待されています。当然、20歳未満を保護対象とする少年法から外れて、成人として刑事責任が問われるようになります。
 しかし、教育現場には政治や社会問題は馴染まないなどの理由から遠ざけられ、受験教育や職業教育に力が注がれているのが現状です。このため、社会経験が未熟な若者を成人とするのは時期尚早とする意見があります。
 総務省が一昨年に実施した成人年齢引き下げについての世論調査でも、賛成と答えた人が26.2%だったのに対して69%の人が反対と答えました。成人年齢の引き下げには、若者を取り巻く教育環境の整備や、国民的議論を深めていく必要がありそうです。
選挙権年齢を18歳以上に引き下げ 【日本の参政権の歴史を追って】
- 勝ち取ってきた選挙権拡大 -
 公職選挙法の改正で、70年ぶりに選挙権年齢が拡大することになりました。しかし、選挙権拡大の歴史を振り返ると、多くの先人の戦いの跡がうかがえます。
 明治初期、土佐藩士の板垣退助らは政府が進める幕藩専制政治に反対して、国会開設(参政権)、憲法制定、地租軽減、地方自治、不平等条約撤廃を掲げて民主的な立憲制国家をめざしました。1874年(明治7年)に民撰議院(国会)の開設を求める「民撰議院設立建白書」を政府に提出しました。これが自由民権運動の始まりです。
 板垣らを中心とした
自由民権運動は広がりを見せ、国会開設の請願書には26万人もの署名が集ったといいます。1881年、明治天皇より国会開設の詔(みことのり)が発せられ、10年後に国会の開設が約束されました。自由民権運動は言論運動として始まりましたが、運動の過程で福島事件や秩父事件などの実力行使が相次ぎました。
そして、運動の内部分裂や政府の弾圧政策によって次第に沈静化していったのです。
 自由民権運動は終息しますが、民主主義に基づく立憲制国家をめざした自由民権運動は、日本の民主主義の原点を刻んだ運動といえます。1889年2月11日、大日本帝国憲法と衆議院選挙法が発布されました。同時に大赦令が公布され、多くの自由民権運動家が出獄しました。
選挙権年齢を18歳以上に引き下げ - 初の衆院選挙の参加者は人口の約1% -
 大日本帝国憲法に基づいて、1890年に第1回衆議院議員選挙が行われました。帝国議会は選挙で選ばれた議員からなる衆議院と貴族院の二院制です。日本で初めて国会議員が選挙で選ばれるという画期的な選挙でしたが、直接国税が15円以上で25歳以上の男子という選挙権資格が設けられました。このため、投票できる人は人口の1%程度に過ぎません。当時の物価はもりそばが1銭、牛乳1本が3銭だったことから15円はいかに多額であったかが分かります。
 厳しい選挙権資格に対して批判が起こり、1900年には直接国税が10円引き下げられ、人口の2.2%が選挙権を得ました。さらに1919年には直接税が3円に引き下げられ、選挙権を持つ人は人口の5.5%になりました。
 1925年になると納税要件が撤廃され、満25歳以上の男子すべてに選挙権が与えられました。これで、人口の約20%が投票権を持つことになりました。選挙権を持つ人が20%にとどまっていたのは、女性に参政権が与えられていなかったためです。
選挙権年齢を18歳以上に引き下げ - 女性が選挙権を得るまで -
 日本では古くから社会参加は男性が行い、女性は男性を支えるという考え方がありました。こうした考えに不満を持った女性たちが、第1次世界大戦後から婦人参政権獲得運動を展開しました。
 婦人参政権の先駆けになったのは、堺利彦や幸徳秋水が創設した「平民社」です。平民社は、自由・平等・博愛に基づく平民主義を唱え、これに賛同した女性たちが女性解放に立ち上がり、女性の参政権の取得を目指しました。
 平塚らいてうは文芸誌「青鞜」を刊行しましたが、次第に女性の参政権確保を目的とする啓蒙誌へと変化していったため、幾度となく発禁処分を受けることになりました。
 1920年(大正9年)に平塚らいてう、市川房江、奥むめおらによって「新婦人協会」が結成され、女性の社会的・政治的地位の向上を求めて積極的に活動を展開しました。しかし、彼女たち多くの女性の努力もむなしく、参政権を得るには至りませんでした。

- 戦後、日本で初めて婦人に参政権 -
 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ、太平洋戦争は終わりました。マッカーサーの5大改革の中に「参政権付与による日本の婦人の解放」が盛り込まれ、婦人の参政権が認められました。そして、1946年4月の戦後初の衆議院選挙は、満20歳以上のすべての男女が参加する普通選挙で行われ、日本で初めて39名の女性議員が誕生しました。
 以降、社会の変化に合わせて選挙制度は変化し、今回の選挙権年齢の満18歳への引き下げと繋がっていきましたが、日本の選挙5原則は維持されています。
 現在では当然の権利のように考えられている選挙権ですが、紹介してきたように先人たちが闘い取ってきた重みのある権利です。新しく選挙権を得た若者は、来年夏にも予定されている選挙で責任ある一票を投じて欲しいものです。
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