日本の領土問題を考えよう~北方領土、竹島、尖閣諸島問題~【政治】

日本の領土問題を考えよう~北方領土、竹島、尖閣諸島問題~



 領土とは、国家が所有する陸地を指し、国家はその領土に対して主権を有しています。領海は国家の領域を構成する部分で、沿岸から一定の幅を持つ帯状の水域です。日本の領土は、第2次世界大戦後の1952年4月に発効したサンフランシスコ平和条約によって確定しました。しかし、ロシアとの間で北方領土問題、韓国との間では竹島問題、さらに尖閣諸島は中国と台湾が領有権を主張し、中国の巡視船など中国公船による領海侵犯が相次いでいます。日本が抱える領土問題について考えてみましょう。

日本の領土問題を考えよう~北方領土、竹島、尖閣諸島問題~ ロシアとの交渉が長引く「北方領土」

- 北方領土問題の歴史的経緯 -
 北方領土とは、北海道の根室半島の沖合にある択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の4島のことです。択捉島と国後島には、江戸時代以前から日人が住んでいたという記録が残され、18世紀末から幕府の直轄地として日本人の手で開発が進められました。
 日本とロシアの国境は、1855年2月に調印された日露通好条約で、両国の国境を択捉島とウルップ島の間に定めました。その後、1875年の樺太千島交換条約で、日本はロシアと共同統治していた樺太(サハリン)全島を放棄する代わりに、ロシアから千島列島を譲り受けました。日露戦争に勝利した日本は、ロシアとポーツマス条約(1905年)を結び、新たに樺太(サハリン)の南半分(北緯50度以南)が日本の領土となりました。これが第2次世界大戦前の日本の北方領土です。

- ロシアとの領土問題が発生 -
 第2次世界大戦末期の1945年8月9日、日ソ中立条約を無視してソ連(現ロシア)が日本に宣戦布告し、日本がポツダム宣言を受諾したにも関わらず千島列島に侵攻し、北方4島を占領して一方的に自国に編入しました。北方4島に住んでいた約1万7000人の人々は、1948年までに全員が強制退去させられました。
 サンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島や南樺太に関するすべての権利、権限を放棄しました。しかし、北方4島は日露通好条約でウルップ島と択捉島の間を国境と確定したために日本固有の領土です。このため、日本は連合国に対してソ連に不当に占領されている北方4島の返還を求めました。ソ連はサンフランシスコ平和条約への署名を拒否しています。つまり、署名を拒否したソ連は、連合国が日本に求めた権利を主張できないはずです。それにも拘らず、ロシアは戦争で勝ち取った領土であり、領土問題は存在しないとして現在まで北方4島を実効支配し続けています。

- 注目されるプーチン大統領と交渉 -
 戦争が終わっても、日本とソ連の間で外交関係がないことは不自然です。そこで1956年に戦争状態を終結させるため「日ソ共同宣言」を締結し、ひとまず外交関係を再開することになりました。国交回復にこぎ着けた日ソ共同宣言で、ソ連は平和条約の締結後に色丹島と歯舞群島の2島を返還すると明記されました。しかし、日本は4島すべての返還を求めており、度重なる交渉でもこの溝を埋められず、平和条約の締結交渉は行き詰まっています。
 こうした中、2013年4月にロシアを訪問した安倍首相とプーチン大統領が会談し、平和条約締結に向けて交渉を再開することで合意し、外務次官級会議が始まりました。ところがロシアのウクライナ侵攻で、日本が西側諸国とともに経済制裁に加わったことにロシアが反発し、一方的に外務次官級会議が延期されました。2015年にプーチン大統領は「日本側のせいで対話は停止した」と発言し、メドベージェフ首相や閣僚が相次いで北方領土を視察するなど返還交渉は暗礁に乗り上げてしまいました。
 何とかこう着状態を打破したい日本政府は、さまざまな角度からプーチン大統領との首脳会談を模索してきました。そして、今年12月にプーチン大統領の訪日が実現する見通しとなりました。首脳会議の成り行きを注意深く見守りたいものです。
中国の圧力が強まる「尖閣諸島」

- 1895年に日本の領土に編入 -
 尖閣諸島は、南西諸島西端に位置する魚釣島など5つの島と多数の岩礁で構成される島々の総称です。尖閣諸島は沖縄県石垣市に属し、その総面積は5・53平方㎞です。尖閣諸島には固有種を含む多数の動植物が生息し、周辺海域は好漁場となっています。
 この尖閣諸島が正式に日本の領土に編入したのは1895年1月です。明治政府は1885年以降、沖縄県を通じて数回にわたって現地調査を行い、単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認した後、閣議決定を経て日本に編入しました。

- 尖閣諸島の開拓の歴史 -
 1879年に沖縄にわたった古賀辰四郎氏は、政府に対して尖閣諸島の貸与を申し出ました。1896年に開拓許可を受けた古賀は、多額の資金を投入して船着き場、住宅、貯水場などを作り、羽毛の採取、鰹節の製造、燐の採取などの事業を行いました。最盛期には約100戸、200人以上もの人が居住していました。政府の許可を受けて、尖閣諸島で事業活動を行うことが出来たという事実は、尖閣諸島における日本の支配を示すものです。
 しかし、基幹産業だった鰹節工場が経営不振で閉鎖され、1940年に島は再び無人島になりました。無人島になってからも、島の土地は開拓者の子孫が所有する形で引き継がれ、日本政府と賃貸契約を結んできました。

- アメリカ施政権下の尖閣諸島 -
 第2次世界大戦後、尖閣諸島はサンフランシスコ平和条約第3条によって、南西諸島の一部としてアメリカの施政権下に置かれました。1972年5月に尖閣諸島を含む沖縄の施政権が返還されるまで、日本が尖閣諸島に対して直接的に関与することはできません。
 アメリカの施政下にあった1960年代、台湾の漁民が尖閣諸島に生息する海鳥やその卵を乱獲し、周辺海域で頻繁に密漁するようになりました。1968年には南小島に数十人の台湾人が上陸し、難破船の解体工事を行うという事件が起こりました。琉球政府は彼らに不法上陸であることを通告し、希望者に入域許可書の取得を指導しました。翌年、彼らは解体作業を終えるために正規の入域許可書を持って上陸しました。こうした措置について台湾政府から異議を唱える声は上がりません。これは日本の領土であることを認めていることに他なりません。尖閣諸島は、アメリカの沖縄占領期間を除き、日本が実効支配し続けています。

- 海底資源の発見で領有権を強く主張-
 中国や台湾が領有権を強く主張し始めたのは、1960年代後半に行われた海洋資源調査で、周辺海域に石油など天然資源が埋蔵されているという報告を受けて以降です。
 2010年には、尖閣諸島付近で中国漁船が海上保安庁の巡視船に激突する事件がありました。日本は事件が起こるたびに抗議してきましたが、中国側は「この海域は中国領土である」と主張し、解決の糸口は見つかっていません。
 2012年に政府は尖閣諸島の3島を買い取り国有化しました。中国はこれに強く反発し、大規模なデモが起こるなど日中関係はさらに悪化し、領海侵犯の頻度は増していきました。さらに、中国は2013年に、尖閣諸島を含む東シナ海上空を「防空識別圏」に設定し、以降、中国軍戦闘機と自衛隊機が異常接近するなど緊張が続いています。
 日本政府は、「尖閣諸島は日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、現に有効支配している。このため、尖閣諸島をめぐる解決しなければならない領有権の問題は存在しない」という公式見解を基に、中国と粘り強く交渉していく方針です。
韓国警備隊が駐留する「竹島」

- 17世紀半ばに領有権を確立 -

 竹島は、日本海に浮かぶ総面積0・21平方㎞の断崖絶壁の孤島で、食糧や飲料水の確保は出来ません。隠岐諸島や韓国の鬱陵島(ウルルンド)からも遠く、昔から人の定住を拒んできました。この竹島の領有権を巡って日本と韓国が対立しています。
 「竹島」に関して「遅くとも17世紀半ばには領有権を確立した」というのが日本政府の公式見解です。江戸幕府から、鬱陵島での漁猟の許可を受けた鳥取藩の漁師が、鬱陵島への道筋にある竹島を航行の目標として、また、漁場や漁船の停泊地として利用していました。
 当時、江戸幕府が鬱陵島や竹島を外国領だと認識していたら、1635年の海外への渡航を禁じた鎖国令によって、これらの島々への渡航は禁じられたはずです。これらの事例などを根拠に、江戸時代初期にはこれらの島々の領有権は確立していたというものです。

- 1905年、閣議決定で竹島の領有を再確認 -
 当時、韓国王朝は鬱陵島に人がいれば、海賊などによる被害が予想されるとして島民を本土に移住させていました。そして、鬱陵島周辺で漁をする日本人を不法操業と捉えていました。こうした折、日本の漁師が鬱陵島で朝鮮人の漁師と遭遇し、2名を日本に連れ帰りました。その後、幕府に朝鮮人の鬱陵島への渡航の禁止を求めましたが、韓国側はこれに応じません。このため、幕府は隣国との友好関係を尊重して鬱陵島への渡航を禁止しました。この渡航禁止令に、竹島が含まれるか否かで日本と韓国が真っ向から対立してきました。
 日本は1905年、閣議決定により竹島を領有する意思を再確認しました。きっかけとなったのは、竹島でアシカ猟を手がけていた島根県・隠岐の実業家が事業の安定を図るため、竹島の領土編入と貸下げを願い出たことです。政府は島根県の意見を求め、竹島を隠岐島庁の所管として差し支えないことを確認し、1905年1月に閣議決定により竹島を領有する意思を再確認しました。

- 戦後、韓国が竹島を実効支配 -
 第2次世界大戦後、韓国は竹島(韓国名:独島)の領有権を主張しました。1952年に韓国の李承晩大統領は、一方的に日本海・東シナ海に軍事境界線「李承晩ライン」を宣言し、竹島をそのラインの中に取り込みました。そして竹島に武装警備隊を送り込み、現在まで実効支配し続けています。
 李ラインの設定で、韓国籍以外の漁船が韓国付近の公海で漁業を行うことが禁止されました。この李ラインによって日本の漁船は拿捕され、約4000人が抑留されました。李ラインは、1965年に締結された「日韓基本条約」とともに締結された「日韓漁業協定」によって廃止されました。
 しかし、日韓基本条約の締結後も、教科書問題や慰安婦問題、靖国参拝問題などで日韓関係は悪化して行きました。2012年には、当時の李明博大統領が竹島に上陸して世間を驚かせたこともありました。日本は竹島の領有権について、国際司法裁判所に提訴することを提案していますが、韓国は拒否してこう着状態が続いているのが現状です。
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