「憲法」は国の形を決める最高法規【憲法】

「憲法」は国の形を決める最高法規


「法律の中の法律」と呼ばれることも!!
 待ちに待った春のゴールデンウィークが間もなくやってきます。その真っ只中の5月3日の祝日が「憲法記念日」。憲法記念日は、日本国憲法が施行された1947年5月3日を記念して設けられました。そして、憲法記念日を中心とした5月1日から7日までの1週間を、憲法の精神や裁判所の役割などを再確認する目的で「憲法週間」として定め、国や裁判所などが中心になってさまざまな行事が行われています。
 憲法は国の最高法規、国の形を決める非常に大切な法律です。憲法はあらゆる法律の一番上にあり、憲法の基にさまざまな法律が作られています。憲法が「法律の中の法律」と呼ばれているのはこのためです。皆さんはすでに憲法について学んだと思いますが、憲法記念日を控えてもう一度日本国憲法の精神や役割などについて振り返ってみましょう。

「憲法」は国の形を決める最高法規 - 日本国憲法はこのようにしてできた -
 現在の日本国憲法は、第二次世界大戦で日本が負けたことで、これまでの大日本帝国憲法(明治憲法)に変わってできたのです。
 1945年8月、日本はアメリカをはじめとする連合国が突きつけた「ポツダム宣言」を受け入れ、「連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)」による日本の占領統治が始まりました。GHQの最高司令官のマッカーサーは、日本の民主化に向けてさまざまな改革に乗り出します。その中の一つとして、天皇の絶対的な権力を認めていた明治憲法にかわって、新しい憲法の制定がありました。
 マッカーサーが1945年10月、当時の幣原喜重郎首相に明治憲法の改憲の必要性を示唆し、日本側の自主的な憲法改正草案の提出を求めたところから憲法改正がスタートします。

- GHQの手で進められた草案作成 -
 政府はGHQの意向を受け、憲法改正のため「憲法問題調査委員会」を設置して明治憲法の改正に着手します。しかし、委員会で検討されたのは、GHQが求める民主的な憲法草案とはほど遠いものでした。つまり、天皇の位置付けなど明治憲法の基本原則を踏襲し、表現の一部を変更する程度の保守的なものだったのです。これを知ったGHQは、日本に任せておくと民主的な憲法は作れないと判断し、GHQが見本となる憲法の原案を起草することにしました。
 憲法の草案作成に携わったのは、GHQ民政局に所属するアメリカ軍の将校や民間人です。草案作成に取り組むGHQは、誕生したばかりの国連憲章や人権宣言、世界各国の憲法などを参考にしながら作業を進めます。そして、1946年2月3日から12日までのわずか9日間という短期間で、憲法GHQ草案がまとめられました。そして、翌13日に外相官邸で吉田茂外務大臣などに手渡されました。

- 双方で議論を重ね、憲法改正草案が完成 -
 手渡されたGHQ草案は、日本にとって想定外の内容で、その場では回答できないとして持ち帰って翻訳、検討することにしました。GHQ側は、字句などの変更は認めるが象徴天皇制と戦争放棄の2点を中心とした草案の基本原則の変更は認められないと日本側に伝えます。
 日本側は、GHQ案を踏まえながら政府案をまとめ、3月2日にGHQ側に提出しました。そして、GHQ民政局と日本の法制局との間で、長時間にわたるGHQ案と日本政府案双方で議論を重ねて1946年3月6日、正式に憲法改正草案が発表されました。
 憲法改正草案が発表された1カ月後の1946年4月、戦後初めて明治憲法のもとで衆議院選挙が行われました。新議員による帝国議会が6月20日に開かれ、旧憲法である明治憲法の改正手順に従って衆議院、貴族院で可決し、さらに天皇の最高諮問会議である枢密院でも可決され、現在の日本国憲法が正式に誕生しました。そして、現在まで一度も改正されることなく日本の屋台骨を支えています。
 このように、日本国憲法は他国ではほとんど例を見ない経過をたどって成立したのです。
「憲法」は国の形を決める最高法規 - 日本国憲法と大日本帝国憲法(明治憲法) -
 日本国憲法は、前文と11章103条からなっています。この機会に全文に目を通すことをお勧めします。それほど長いものではないので、すぐに読めると思います。
 日本国憲法の前文には、憲法制定の趣旨や理念、原則や方針などが記されています。その中で、~正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し~、~再び戦争の惨禍が起きることのないように~、~主権が国民に存することを宣言し~など、「国民主権」、「平和主義」、そして「基本的人権の尊重」が基本理念として掲げられ、日本国憲法の三大原則とも呼ばれています。そして、明治憲法では絶対的な力を持っていた天皇は、第1条で「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定されました。
 私たちは、国民すべてが人間らしい豊かな生き方をするための三大原則を当然のように受け取ってきました。しかし、世界に目を転じると、こうした原則を勝ち取るために血みどろの戦いが行われたという数多くの出来事を思い浮かべます。また、現在でも人間として生きるために必要なこれらの原則を手に入れるため、戦い続けている人々が沢山いることを忘れてはなりません。

- 憲法が定める三大原則について -
 日本国憲法の三大原則をもう少し詳しく見ていくことにしましょう。
(国民主権)
 明治憲法では、第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之統治ス」と書かれているように、天皇主権が明確に記されています。
 日本国憲法での国民主権とは、国民が主権を持っているということです。つまり、国民が国の治め方や国の仕事を最終的に決める権利を持っているということです。実際には、日本は間接民主制を取っているため、国民が選挙で選んだ国会議員によって政治が行われています。
 よく「1票の格差」が取り上げられ、裁判所に憲法違反ではないかと訴えられることがあります。私たち国民が持つ1票の重みが、地域によって格差が生じるということは、国民の権利が脅かされるということにつながるからです。こう考えると、選挙を棄権することはどういう意味か分かりますね。二十歳になって選挙権を得た時には、貴重な選挙権を有効に生かしたいものですね。

(平和主義)
 憲法の前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し」と記し、平和を求める日本の立場を明確にしています。
 そして、誰もが知っている第9条には、第1項に「~国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と記され、第2項には「~陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦力は、これを認めない」と明記されています。
 第二次世界大戦で国土が荒廃した日本にとって、「世界平和」への強い思いが前文とともに、第9条にも重ねて記述されています。ところが、簡潔に書かれた9条の解釈をめぐって、今日まで日本国民の間で活発な議論が戦わされています。

(基本的人権の尊重)
 基本的人権とは、人間が生まれながらに持っている権利で、憲法11条で「国民は、すべてに基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」と記されています。
 基本的人権を具体的に紹介すると、第三章の10条から40条にかけて平等権、自由権、社会権、参政権、受益権などについて書かれています。国民はすべて法のもとに平等で、人種、信条、性別、身分、家柄などで差別されないとするのが平等権。自由権では、職 業選択の自由、思想及び良心の自由、学問・集会・結社・表現の自由など幅広い権利が認められています。健康で文化的な生活を送る権利や教育を受ける権利が社会権と呼ばれています。選挙権や被選挙権などを定めたのが参政権。そして、裁判を受ける権利などを定めたのが受益権です。
 憲法で基本的人権を尊重するため、このような権利が保障されていますが、こうした権利を生まれながらに享受している皆さんは「当然のことだ」と思うかも知れません。しかし、戦前の日本では女性の参政権は認められないなど多くの差別があり、自由も大幅に制限されていました。外国でも、基本的人権をめぐってさまざまな紛争を経験し、現在でも戦いが続いている国も数多くあります。基本的人権はこれほど貴いものなのです。
「憲法」は国の形を決める最高法規 - 憲法をめぐってさまざまな意見が!! -
 憲法記念日の5月3日には、全国各地で憲法を変える必要がないとする「護憲派」と、時代に応じて変えていこうとする「改憲派」が集会などを行ない、その様子が毎年マスコミなどで報道されています。なぜ、憲法をめぐって日本人の間で意見が異なっているのでしょうか。
 日本国憲法が制定されるまでの流れを紹介しましたが、憲法制定にアメリカが深くかかわっていることは周知の事実です。改憲派の人々は、アメリカの意向を反映した押し付け憲法であるとして、日本人の手によってもう一度見直すべきだと主張しています。一方、護憲派は、日本国憲法が掲げる理念はいつの時代にも通じるとして、このまま守り続けるべきだとしています。
 アメリカが憲法の原案を作り、日本がそれに手直しするという経緯を経てまとめられ、旧憲法で決められた手続きに従って改正されたもので、形式的には何ら問題ありません。
 ただ、時が経過していく中で、時代にそぐわない部分が出てきました。その代表ともいえるのが平和主義を明記した第9条なのです。

- 憲法第9条と自衛隊 -
 憲法をめぐる議論の中で、一番大きな問題になっているのが第9条と自衛隊の関係です。平和主義を掲げ、戦争を放棄し、戦力を保持しないとした第9条と自衛隊の存在は、明らかに矛盾するという指摘が各方面でなされています。
 そもそも自衛隊がなぜ設立されたか考えてみましょう。日本国憲法が制定された3年後の1950年、朝鮮戦争が勃発します。アメリカは連合国の一員として、日本の統治にあたっていた在日アメリカ軍を朝鮮半島に派遣します。この結果、日本国内の治安にあたる武力が弱体化することを恐れたアメリカは、日本に自衛隊の前身となる警察予備隊を組織させました。朝鮮戦争が終結後も東西冷戦が進み、警察予備隊はより強力な武力を持った保安隊に改編され、1954年に現在の自衛隊が誕生しました。
 こうして誕生した自衛隊に対し、「自衛隊は憲法違反だ」との指摘が各方面でなされ、何度も裁判が行なわれました。時の政府はその都度「自衛隊は自衛のための存在だから戦力ではない」などと、憲法を拡大解釈させることで批判をかわしてきました。
 自衛隊は国内の災害支援や国連平和維持活動(PKO)に参加するなど、多くの実績を積み重ねています。また、日本を取り巻く国際情勢に不安定要素が目立つようになり、日本をどう守るかといった議論が頻繁に行なわれるようになりました。このような情勢を踏まえて、平和主義を掲げる憲法を見直し、自衛隊を憲法の中に明確に位置付けようという意見も出ているのです。
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