来年5月に「平成」から新元号に変わる【歴史】

来年5月に「平成」から新元号に変わる


【日本固有の歴史を刻む元号とは】
 昨年12月1日の皇室会議で、天皇陛下が平成31年(2019年)4月30日に退位することが決まりました。翌5月1日に皇太子殿下が新天皇に即位し、その日から元号が現在の「平成」から新しく変わります。天皇が譲位(生前に退位)するのは江戸時代の光格天皇以来約200年ぶりといわれます。これにともない「平成」の時代も幕を下ろします。1300年以上にわたって日本固有の歴史を刻み、人々の時代観に大きな影響を与えてきた「元号」について考えてみました。

来年5月に「平成」から新元号に変わる - 日本最初の元号は645年の「大化」 -
 そもそも元号とはどういうものでしょうか。元号は特定の年代に付けられる称号で、年を数え、記録する紀年法の一つです。 
 中国で元号が初めて使用されたのは前漢時代、武帝が即位した翌年の紀元前140年に、「建元」という元号を制定したのが始まりとされます。
 その後、時代が下って明朝(1368年-1644年)の太祖の朱元璋が、皇帝の即位によって改元する「一世一元」を制定し、中国の元号は1911年の辛亥革命で清朝が滅亡するまで存続しました。
 元号は漢字文化とともに日本に伝来し、日本書紀によると645年に「大化」が使用されたのが日本の元号の始まりとされます。現在の「平成」という元号は247番目になります。
 元号は天皇が亡くなったり譲位して新たな天皇が即位すると改められましたが、江戸時代までは飢饉や天災などが起こるたびに元号を変える「改元」が頻繁に行われました。
来年5月に「平成」から新元号に変わる - 明治に元号の「一世一元」制度が導入 -
 明治に入って、天皇の即位から崩御までの一代につき、元号を一つに定める「一世一元」の制度が導入されました。
 明治元年(1868年)の明治改元詔書で「一世一元」が唱えられ、明治22年(1889年)制定の旧皇室典範でも、「一世の間に再び改めざること」と「一世一元」を定めています。
 戦後、連合国軍司令部(GHQ)の主導で作成された現行の皇室典範から元号の規定が削除されて、元号の制定は法的根拠を失いました。
 戦後の一時期、「元号は天皇主権の象徴で民主国家にはふさわしくない」などの理由で元号廃止の声が上がりました。これに対し、元号の存続に危機感を持った自民党議員らが中心になって、昭和54年(1979年)に①元号は政令で定める②元号は皇位の継承があった場合に限り改める、と規定した元号法が成立して法的整備がなされました。
 古来元号は天皇が決めていましたが、元号法によって元号は天皇ではなく内閣によって制定されるものとなり、「昭和」から「平成」への改元は同法に沿った手続きに基づいて行われました。
来年5月に「平成」から新元号に変わる - 昨年6月に生前退位の特例法が成立 -
 平成28年8月に生前退位の意向をにじませた天皇陛下のビデオメッセージが放映されて、ご高齢を迎えた天皇が象徴としての活動を続けていくことが困難となることを案じていることが公になりました。
 こうした天皇のお気持ちを理解し、共感した国民の声を受ける形で、政府は有識者会議を設けて「生前退位」の在り方を検討しました。与野党の意見集約を経て天皇の退位等に関する皇室典範特例法(特例法)が昨年6月9日に成立しました。
 特例法では、同法が施行される日に天皇が退位し、皇太子が直ちに即位すること、退位後の天皇は呼称を「上皇」、皇后は「上皇后」とし、上皇は再び皇位につく資格や、国事行為を代行する摂政の就任資格を持たないことなどが定められています。
 そして昨年12月1日の皇室会議で、天皇陛下の退位日が平成31年(2019年)4月30日に決まりました。翌5月1日に皇太子殿下が新天皇に即位し、その日から元号が現在の「平成」から新しく変わることになったのです。
来年5月に「平成」から新元号に変わる - 元号は漢字2文字で読み書きしやすいもの -
 それでは元号はどのようにして決まるのでしょうか。
 「昭和」から「平成」への改元では、政府が東洋史学や中国文学の専門家に依頼し、元号案を水面下で検討しました。
 昭和天皇の崩御をうけて正式に元号選定を委嘱された専門家が複数の候補を提案し、官房長官らが絞り込んで衆参両院議長の意見聴取を経て、臨時閣議で元号を定める政令が出されました。
 平成改元では①国民の理想としてふさわしい良い意味を持つもの②漢字2文字であること③書きやすいこと④読みやすいこと⑤これまでに用いられていないこと⑥俗用されているものでないこと-という6つの方針に基づいて選ばれました。
来年5月に「平成」から新元号に変わる - 約1300年の間に247の元号が生まれた -
 現在の「平成」は、中国の古典である「史記」五帝本紀の「内平らかに外成る」、同じく「書経」大禹謨(だいうぼ)の「地平らかに天成る」から文字がとられました。「国の内外、天地ともに平和が達成される」という意味です。
 昭和64年(1989年)1月7日に昭和天皇が崩御され、その日のうちに新元号「平成」が発表されました。当時の小渕恵三官房長官が記者会見で、「新しい元号は『平成』であります」と両手で「平成」と書かれた台紙を掲げて発表しました。
 日本では1300年以上の間に247の元号が登場しましたが、このうち4文字は5回、他はすべて2文字です。元号に用いられた漢字は72文字で、最も多いのは「永」で29回、次いで「元」「天」の27回、「治」の21回、「応」の20回と続きます。ちなみに平成の「平」は12回目、「成」は初登場です。

- グローバル化の進展で西暦表記は不可欠 -
 戦後間もなく憲政の神様と称された尾崎行雄や、後に総理となる石橋湛山らが元号の廃止や西暦の使用を呼びかけました。昭和25年(1950年)2月には参議院で元号の廃止が議題に上がりましたが、同年6月に朝鮮戦争が勃発して元号の議題は棚上げとなりました。
 当時の日本は、国民生活と馴染みの薄かった西暦を使う習慣はほとんどなく、その後も「昭和」の元号が官民問わず使われ続けました。
 新聞や雑誌などマスコミをはじめ、民間企業や社会生活の中で西暦の使用が増えてきたのは平成の時代に入ったころからでした。
 今日ではインターネットの普及や政治、経済、社会生活のグローバル化が進展して、世界共通の年号である西暦の使用は不可欠となっています。

- 日本人としての歴史認識を共有する元号 -
 私たちは元号と密接に結びついた「大化の改新」や「保元・平治の乱」、「建武の新政」、「応仁の乱」、「安政の大獄」、「明治維新」というように、元号と共に歴史認識を共有しています。また「元禄文化」や「大正ロマン」、「昭和レトロ」といった表現から、時代独特の文化や情緒を感じ取ることができます。
 さらに歴史的イメージを共有する延長線上に個人の人生や家族、世間の出来事を重ね合わせて、「明治の頃は」、「昭和のあの頃は」、「平成の何年は」、と振り返ります。
 元号と不可分な味わい深い時代感覚は、単なる年を数える紀年法以上の深い心情的、文化的な意味合いを含んでいるといえます。
 現在、役所などの公的文書では唯一法的根拠のある紀年法である元号が使用されていますが、日常的には西暦と元号の併記が一般的になっています。

【「元号の歴史」】
- 元号は特定の年代を命名した有限の年数 -

 元号は西暦などと違って、ある一定の紀元から無限に年数を重ねていく年号ではありません。皇帝や王など君主の即位や慶事があった場合、あるいは天災などの災いが起こった時などに改元して年数をリセットし、また元年から数え直す有限の年号です。 
 君主が特定の時代に名前(元号)をつける行為は、領土(空間)とともに歴史(時間)をも支配しようとする思想に基づいたものといわれます。天子の定めた元号と暦法を用いることを中国では「正朔(せいさく)を奉じる」といい、王朝の統治に服して臣従する要件となっていました。
 最初の元号は、中国・前漢の武帝が制定した「建元」といわれますが、中国王朝に朝貢して統治を認めてもらった(冊封といいます)朝鮮や渤海、琉球、ベトナムなどでは、かつて中国の元号をそのまま使用していました。 
 645年に制定された日本最初の元号は「大化」で、新たな政治理念で天下を治めるという意味があります。続く斉明天皇や持統天皇の時代には記録が残っていませんが、701年の「大宝」以降は元号が定着し、同年の大宝律令には「年号を用いよ」とあります。
 1300年以上の歴史がある元号ですが、南北朝時代には持明院統(北朝)と大覚寺統(南朝)が独自に元号を制定したため、1331年から1392年まで二つの元号が並存しました。江戸時代になると朝廷の専管事項であった元号決定に幕府が介入するようになり、朝廷で評決を経た元号を幕府が審議し、幕府の意見によって天皇が裁可する形となりました。

【「世界の多様な紀元」】
- 西暦、イスラム暦、ユダヤ暦など -

 年数を無限に数えて西暦のような紀元と呼ばれる年号は、世界にいくつも存在します。
 紀元とは、ある事柄が起こった起算点(紀元)から連続して年を重ねて数える年号のことで、西暦とはキリスト生誕を起点(元年)とした「キリスト紀元」のことです。
 西暦以外でよく知られる紀元にイスラム暦(ヒジュラ暦)があります。多くのイスラム教国で採用されており、預言者のムハマンドが生誕地のメッカからメディナに拠点を移した622年を元年としています。
 また台湾では独自の紀元として「民国暦」があります。辛亥革命で清朝が滅び、翌年の1912年に孫文が臨時大総統に就任してアジア初の共和国、中華民国が建国されました。この建国の年を元年とする「民国暦」が使われ、その後「民国」という年号は台湾に引き継がれました。2018年の今年は民国107年となります。
 このほか旧約聖書の天地創造の日を紀元としたユダヤ暦があります。西暦紀元前3761年10月7日を始まりとし、現在イスラエルはユダヤ暦を公式の暦として採用して西暦と併用しています。
 さらに北朝鮮では1948年の建国以来西暦を公式の年号としていましたが、金日成の三周忌に当たる1997年9月9日に、金日成が生まれた1912年を元年とする「主体暦」の採用を宣言しました。現在は西暦と併用しています。
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