ここまで来た iPS細胞の研究【医療】

ここまで来た iPS細胞の研究

 京都大学の山中伸弥教授が、2007年11月にヒトのiPS細胞(人工多機能幹細胞 induced pluripotent stem cell)の作製に成功してから5年が経過しました。iPS細胞は万能細胞とも呼ばれ、身体中のあらゆる細胞に変化できる能力を持っています。このため、難病の克服、再生医療、新薬の開発など多くの分野で大きな期待を集めています。
 現在、iPS細胞の研究はどこまで進み、将来どのようになっていくか考えてみました。

ここまで来た iPS細胞の研究 - ヒトの身体はたった一つの細胞から -
 人間の身体は、60兆個の細胞で構成されています。これらの細胞の元をたどれば、たった
一つの細胞(受精卵)が母親の体内で細胞分裂を繰り返し、人間の皮膚や髪、骨格や筋肉、そして神経や各種臓器を作り上げています。これを「分化」と呼んでいます。
 しかし、分化して皮膚や髪、骨格や神経、各種臓器に成長した細胞は、再びもとの状態に戻ることは不可能とされてきました。心臓や肺、脳などは悪くなっても自然治癒しません。複雑な構造で多くの機能を持つ細胞をもう一度作り直すことが困難なためです。
 このため、世界中の研究者が、いったん出来上がった細胞をもとの状態に戻す、つまり「初期化」することで難問克服をめざしました。この生命科学の常識を覆すような発想が、iPS細胞の研究の原点となったのです。

- 細胞初期化への取り組み -
細胞の初期化による臓器や神経などを再成させる研究は、数十年も前から進められていました。1981年には、イギリスのマーティン・エバンス教授らが、マウス胚盤胞からES細胞(embryonic stem cell 胚性幹細胞)を作りました。ES細胞とは多能性幹細胞の一つで、あらゆる組織の細胞に分化することができます。その後、1998年にアメリカのジェームス・トムソン教授が、ヒトES細胞の作製に成功しました。
 ヒトES細胞は、受精後約1週間の胚から作られる幹細胞で、成体に存在するあらゆる細胞に分化し、無限に増殖し続けるという素晴らしい能力を持っています。しかし、ES細胞は発生初期の胚を破壊して作るため、順調に成長すれば人間として一つの生命となる受精卵を取り出すことになります。このため、倫理的・宗教的問題、また生命がビジネスに転化される可能性など多くの問題が指摘され、世界各国はES細胞の研究に規制をかけるようになりました。
 さらに、他人のES細胞から作った組織や臓器の細胞を移植すると、拒絶反応が起こるという問題もありES細胞の研究は停滞していました。そこで、ヒトのES細胞ではなく体細胞から直接、ES細胞と同じ能力を持つ多機能幹細胞の開発が求められていました。
ここまで来た iPS細胞の研究 - ES細胞の課題を克服したiPS細胞 -
 京都大学の山中伸弥教授は、ES細胞のように受精卵から作るのではなく、ヒトの皮膚からES細胞と遜色のないiPS細胞「人工多能幹細胞(induced pluripotent stem cell)」を研究・開発し、世界中をアッといわせました。自分自身の皮膚細胞からiPS細胞を開発したもので、倫理観の問題も拒絶反応という医学上の問題もクリアできるため、世界的な大ニュースになったのです。
 ES細胞は、高い増殖力とさまざまな細胞に分化できるという素晴らしい能力を持っています。研究チームは、このES細胞の中にさまざまな細胞に分化できる遺伝子があると考え、約7万から10万あるという人間の遺伝子の中から24種類の遺伝子を抽出して研究を重ねました。そして、その中から「Oct3/4、Sox2、c-Myc、Klf4」など4種類の遺伝子を組み合わせ、レトロウイルスベクターという遺伝子の運び屋を使ってマウスの皮膚細胞に組み込んで培養しました。

- 山中教授チームが開発競争の先陣 -
 その結果、ES細胞のさまざまな問題点を克服したiPS細胞の開発に成功しました。さらに、作製したiPS細胞を受精卵に戻すことで、マウスの全身の細胞に正常に分化することを確認。この細胞をマウスの体内で調べたところ、3週間ほどで神経や消化器組織、軟骨などの細胞に変化していることが明らかになりました。2006年のことで、世界で初めてマウスを使ったiPS細胞の誕生となりました。
 さらに、2007年11月、マウスでの実験と同じ手法で4つの遺伝子をヒトの皮膚に導入したところ、ES細胞と形態、増殖能力、遺伝子、分化能力など、多くの面で類似するiPS細胞を作製することに成功したと発表しました。世界中でiPS細胞の開発競争が展開されていますが、今回の成功で京都大学の山中教授を中心とする研究チームが先陣を切ることになったのです。
ここまで来た iPS細胞の研究 - 心配されるガン遺伝子も除去 -
 以降、4つの遺伝子のうちc-Myc遺伝子は、ガン化を引き起こす危険があったため、これを除いた3つの遺伝子でマウスやヒトiPS細胞の作製にも取り組み、成功しました。また、遺伝子を運ぶウイルスベクターは、遺伝子の集まりである染色体の中に運び込む時に、遺伝子の異常をきたしてガンを引き起こす恐れがあります。このため、ベクターを使用しないでiPS細胞を作製する方法にも成功しています。

- 間近に迫るiPS細胞の臨床研究 -
 ヒトiPS細胞作製から約5年が経過しました。その間、iPS細胞の研究は深化し、細胞のガン化などを防ぐ安全性の問題、生命に関する倫理的問題などといった困難な問題を克服し、さまざまな疾病に悩む患者さんへの実用化が待ち望まれています。
 京都大学の研究チームでは、iPS細胞研究は緒に就いたばかりで、標準的なiPS細胞の基準作り、安全な作成方法の確立、治療効果や安全性の確認、政府によるiPS細胞の臨床・医療応用の指針の策定などの課題をクリアする必要があると、実用化を急ぎつつも慎重に対処しています。
 iPS細胞の研究は、全国各地の研究機関や大学でも進められています。神戸市にある理化学研究所では、iPS細胞による網膜再生医療に取り組み、国の審査が通れば2013年度にも実際にヒトを対象にして行なう臨床研究に取り組む計画です。他にも、東京大学や大阪大学、九州大学、名古屋大学、慶応大学などで、遺伝子・細胞治療法の開発、運動神経の再成、血管再生治療法の開発などを進めています。
 先鞭を切る京都大学では、iPS細胞の総合研究とともにパーキンソン病の治療に取り組み、5~7年ほどで臨床研究に入る計画を立てています。医療現場で実際に採用するには、まだまだ時間がかかりそうです。しかし、iPS細胞が治療困難とされてきた各種疾患の治療・回復に大きな力を発揮する日が近いことは間違いありません。

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