今年6月FIFA女子W杯カナダ大会、 9月にはラグビーW杯イングランド大会が開催【スポーツ】

今年6月FIFA女子W杯カナダ大会、 9月にはラグビーW杯イングランド大会が開催

今年6月、カナダで第7回FIFA女子ワールドカップ(W杯)が、9月にはイギリスのイングランドで第8回ラグビーワールドカップが開催されます。日本ではオリンピックや男子のW杯に比べると注目度はやや劣るものの、世界的に見ればそれらに次ぐ大きな大会と位置づけられています。なかでもラグビーW杯は、オリンピックやW杯サッカーと並ぶ世界の三大スポーツイベントとして世界中で注目されています。
 前回のFIFA女子W杯ドイツ大会では、日本の「なでしこジャパン」が強豪国を破って優勝し、国民栄誉書を受賞するなど日本中から喝さいを浴びました。今年のカナダ大会で二連覇なるか注目されています。
 ラグビーW杯では、日本代表はこれまで目立った成績を収めていません。しかし、イングランド大会に次ぐ2019年の第9回ラグビーW杯は、日本で開催されることが決定しています。今回の大会はその前哨戦としても注目され、日本代表の活躍が期待されています。


●日本女子サッカーの歴史

今年6月FIFA女子W杯カナダ大会、 9月にはラグビーW杯イングランド大会が開催 - 女子サッカーは神戸から? -
 日本にサッカーが伝えられたのは、1873(明治6)年にイギリス海軍将校のダグラス少佐が日本の海軍軍人に教えたというのが定説になっています。
 日本の女子サッカーの歴史は、2010年に香川県の丸亀市立資料館で見つかった、1924(大正13)年に撮影されたとみられる丸亀高等女学校の生徒が袴姿でボールを蹴っている写真までさかのぼります。当時、丸亀市内に第一次大戦でのドイツ人捕虜の収容所があったことから、彼らに影響されたのではないかと推測されています。
 それまでは、1966(昭和41年)年に神戸市の福住小学校の6年生によって結成された「福住女子サッカー少年団」が、確認されているもっとも古い記録とされていました。同年には神戸女学院中等部にもサッカー部が作られ、両チームは翌1967年の「第1回神戸サッカーカーニバル」で、女性の主審、副審のもとで試合を行いました。

- 全国大会とリーグの誕生 -
 女子サッカーは神戸を中心に動き出し、1972年には東京で日本初のクラブチーム「FCジンナン」が結成されるなど全国でクラブチームが設立され、非公式のリーグ戦が行われるようになりました。
 各クラブチームから全国組織がほしいという要望を受け、1979年に日本女子サッカー連盟が設立され、翌1980年に「全日本女子サッカー選手権」が開催されます。しかし、女子だからという理由で8人制、25分ハーフ、グランドの広さは正規の約3分2、ボールは男子のものより小さい4号ボールが使用されていました。
 第3回大会からは11人制が導入され、グランドの広さも男子と同じになりました。第7回大会からは、男子と同じ5号ボールが使用されています。第27回大会では3回戦までは40分ハーフ、それ以降は45分ハーフになり、第32回大会以降は全ての試合が45分ハーフで実施されています。
 2012年度から皇后杯が優勝チームに授与されることになり、大会名が「皇后杯全日本女子サッカー選手権大会」に変更されました。第36回皇后杯全日本女子サッカー選手権大会は、なでしこリーグの10チームと地区大会を勝ち抜いた26チームの計36チームで争われ、今年1月1日の決勝戦で日テレ・ベレーザが11度目の優勝を飾りました。

- 隆盛から苦難の時代に -
 1990年のアジア競技大会から、女子サッカーが正式競技に採用されることが決まり、女子代表チームの結成や強化が急がれました。このため、1989年に6チームによって「日本女子サッカーリーグ」が誕生し、1991年には10チームに拡大します。
 当時、折からのバブル景気も相まって、クラブ体制から実業団体制に衣替えしたチームが多く、ほとんどのチームが専用のグランドやクラブハウスを持っていました。またプロ契約の選手が増え、さらに世界の有力選手が集まっていたことから「世界最高の女子リーグ」と呼ばれることもありました。1994年には、前年にプロ化した男子の「Jリーグ」にならって、「L・リーグ」という略称で呼ばれるようになりました。全日本女子サッカー選手権大会では、1990年の第12回大会以降、毎年のようにL・リーグ参加チームが優勝するなど着実に力を付けてきました。
 しかし、1990年代後半のバブルの崩壊で、L・リーグを支えた企業が相次いで撤退し、チームは規模縮小や解散に追い込まれます。存亡の危機に立ったLリーグは、大学チームやアマチュアチームの参入を許すなどさまざまな工夫を凝らしてリーグを維持し続けてきました。
今年6月FIFA女子W杯カナダ大会、 9月にはラグビーW杯イングランド大会が開催 - 女子W杯ドイツ大会で優勝 -
 苦難の時代を経て、復活の兆しが見え始めたのは2000年代に入ってからのことです。2003年のアメリカでの女子W杯では、1次予選で敗退したものの注目を集めるようになります。2004年のアテネオリンピックのアジア地区予選では、強敵北朝鮮を破って本大会に出場し、ベスト8の成績を残して注目度はさらに高まります。現在の「なでしこジャパン」という愛称は、アテネオリンピック前に制定されたものです。また、L・リーグも「なでしこリーグ」と呼称を変更しました。
 第6回FIFA女子W杯ドイツ大会での「なでしこジャパン」の活躍はまだ記憶に新しいと思います。グループリーグの初戦でニュージーランドに2−1で勝利し、メキシコ戦では4−0と圧勝しましたが、第3戦でイングランドに0−2で敗れます。
 この結果、グループリーグ2位で勝ち上がったなでしこジャパンは、準々決勝で開催国ドイツと対戦し、延長で勝利するという金星をあげました。続く準決勝でスウェーデンを下し、アメリカとの決勝戦に臨みます。決勝戦は延長戦でも決着がつかず、PK戦でアメリカに勝利し世界の頂点に立ったのです。

- 2015 女子W杯カナダ大会 -
 日本女子サッカーは紆余曲折を経ながら、前回の女子W杯ドイツ大会で頂点にたどり着きました。翌2012年のロンドンオリンピックでは、W杯で優勝したことからオリンピックでも優勝が期待されました。しかし、決勝でアメリカに敗れて惜しくも銀メダルとなりました。オリンピックのサッカー競技では、1968年のメキシコ大会で男子が銅メダルを取って以来、44年ぶりのメダル獲得となったのです。
 6月から開催される女子W杯カナダ大会でも、なでしこジャパンの活躍が期待されています。今大会から参加国がこれまでの16か国から24か国に増加します。すでにグループリーグの組み合わせ抽選が行われ、日本はC組でスイス、カメルーン、エクアドルと対戦することが決まっています。なでしこジャパンの健闘を祈りたいものです。


●ラグビーワールドカップ世界で3番目となるスポーツイベント
今年6月FIFA女子W杯カナダ大会、 9月にはラグビーW杯イングランド大会が開催 - 発祥はイングランドの「ラグビー校」 -
 ラグビーの起源は、イングランドのラグビー校で1923年に行なわれたフットボール大会です。有名な話として、ウイリアム・ウエッブ・エリスが、フットボールの試合中にボールを抱えて相手ゴールに駆け込んだことがラグビーの始まりとされています。当時のフットボールのルールでは、手を使うことは問題なかったのですが、ボールを持って走ることは許されていなかったのです。
 ラグビーという競技名は、エリスが通っていた「ラグビー校」からきており、ラグビーW杯の優勝杯は「エリス杯」と呼ばれています。イギリスでは中流階級以上の人々に人気があり、英才教育にも利用されることが多いことから「紳士のスポーツ」と呼ばれることもあります。
 ラグビーは激しいスポーツですが、ノーサイドの笛とともに敵味方が無くなり、ともに相手を讃えあうという「ノーサイドの精神」、15人のチームメイトが互いに支え合う「オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール」などといったラグビー精神が高く支持されているものと思われます。
今年6月FIFA女子W杯カナダ大会、 9月にはラグビーW杯イングランド大会が開催 - 日本のラグビーのルーツは「慶応大学」 -
 日本にラグビーが伝わったのは、1899年に慶応大学の田中銀之助がイギリスのエドワード・クラークとともにイギリスから持ち帰り、慶応大学の学生に教えたのが最初だとされています。
 以降、早稲田大学、同志社大学、明治大学などの伝統校が戦前から定期戦を行ない、早慶戦や早明戦といった人気カードは、国立競技場を満員にするほどの人気を集めました。現在では、こうした伝統校の他、帝京大学が大学ラグビー選手権大会で六連覇するなど新興勢力が台頭してリーグ戦、対抗戦を盛り上げています。
 学生と社会人のトップが戦う日本選手権では、対戦成績で社会人チームが学生を大きく引き離しています。しかし、集客や人気で学生ラグビーに遠く及ばない社会人ラグビーは、2003年にトップリーグを開設し、白熱したリーグ戦・充実した試合を展開することで当面する諸問題の解決をめざしています。
今年6月FIFA女子W杯カナダ大会、 9月にはラグビーW杯イングランド大会が開催 - 1987年からラグビーW杯がスタート -
 ラグビーW杯は、1987年にニュージーランドとオーストラリアの両国主催で第1回大会が開催されました。第1回大会では選手のプロ化を認めず、予選も行わずに16か国を招待して開催したため、成功するか危ぶむ声もありました。しかし、白熱した試合が相次ぎ、それが世界中に映像が配信されたことでラグビーW杯は大きく評価されました。
 1991年の第2回W杯イングランド大会は国際ラグビー評議会(IRB)が主催し、地区予選を行うなど実質的には最初のラグビーW杯となりました。1989年に始まったヨーロッパ地区予選を皮切りに各地区予選が行われ、16か国が本大会に臨みました。この大会で特筆されるのは、日本が予選リーグでジンバブエに52対8で勝利したことです。実は、日本は第1回大会から連続出場していますが、ラブビーW杯で勝利したのはこの一戦だけだからです。
 日本の第7回大会までの戦績は1勝21敗2分けと大きく負け越し、決勝トーナメントに残ったことはありません。なかでも、南アフリカでの第3回W杯では、ニュージーランドに17対145という記録的大差で敗れ、これはW杯における1試合最多失点記録となっています。

- 第8回ラグビーW杯イングランド大会 -
 今年9月18日から、第8回ラグビーW杯イングランド大会が開催されます。1991年の第2回大会に引き続き、イングランドでは2度目の開催になります。日本は8大会連続8度目の出場を決めています。すでに、一次リーグの組み合わせが決まり、グループBに入った日本は南アフリカ、サモア、スコットランド、アメリカと予選を戦い、決勝トーナメントを目指します。
 日本代表のラグビーW杯での戦績は、紹介したように厳しいものがあります。しかし、日本代表はこのところ国際試合で勝利を積み重ね、一時世界ランキングで9位になるなど快進撃を続けています。これは、世界最強のオーストラリア代表のヘッドコーチなどを経験し、2012年から日本代表のHCに就任したエディー・ジョーンズ氏の手腕が大きく影響しているようです。世界の強豪国との対戦を数多く経験し、その中で日本独自の戦い方を編み出したことが大きな要因だとされています。
 エディー・ジョーンズHC率いる日本代表のイングランドでの活躍を期待したいものです。そして、その成果を2019年の日本でのW杯につなげて欲しいと願っています。
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